【舞台】そのままのあり方が響いてくる
ふみさん。
ダンサーであるキムラアキオさんのお嬢さん。
これもまた6月のことですが
おふたりの踊りに、音楽を添えるというお話をいただきました。
余計な思惑を一切含まない、透明な眼差し
障がいが明らかになった幼少期の頃からの、
ふみさんのエピソードを詩のように書いた葉っぱを
アキオさんが読みながら、踊る。
読み終わった葉っぱは、ふみさんに貼り付ける。
「葉っぱだねぇ」
のんびりとふみさんが言う。
このやりとりに
皆ふっと肩の力が抜けて、お客様から笑いがこぼれる。
ユーモラスな葉っぱ。
微笑ましい葉っぱ。
、、あれは憤りの葉っぱだろうか。
読んでいる途中で、アキオさんが投げ捨てて踊り始める。
踊ったあと、読みかけの、葉っぱがない。あれ?あれ?、
探し回るアキオさん。
アキオさんが真剣に踊っている間に、ふみさんが、拾いに行って自分で体にくっつけていた。
お客様は客席から観ていて、コトの顛末を知っている。知らないのはアキオさんだけだ。
わざとではないけれど、だからこそ微笑ましい、小さないたずらのようなこと。
お客様も、私も、くすっと笑ってしまう。
こんなことが起こるのが、おふたりの舞台。
ふみさんの存在感のおかげですべて深刻になりきらなくて、力が抜ける。
もちろんアキオさんは、予定と違うといって怒ったりしない。
舞台をとりつくろうこともしない。
ただありのままに、今起きていることに向き合い素のままで対応する姿を、舞台の上にあらわにされる。
アキオさんと 奥様は
幼い頃に突然一口も食べなくなった
一睡もしなくなったお嬢さんに、
夜じゅう
何時間ものご飯の間じゅう、根気強く向き合い続けて
ここまで、育ててこられたそうだ。
うまくいかないことだらけ
あきらめ 降参することも山ほどあっただろうと
想像するだけで計り知れない。
そして
あきらめてはいけないことの選択や決断も、
何度も訪れたのだろうなぁと想像する。
その、腹の底から向き合ってこられた
ご両親の やわらかさと やさしさと すごみとが
さまざまなことを見つめてこられたまなざしが
その中で、葉っぱをつけたふみさんを見つけたときみたいに
肩を並べて 夕やけを眺めていたら
ああ、しょうがないかって
肩の力がぬけてしまうように
すべてを受け入れるしかない、その様そのままのあり方が
響いてくるんだ。。
本当は、舞台も、
生きていることも
だれにとっても
予定通り、意図した通りになんかいかない
おふたりのあり方はそれをじんわりと、気づかせてくれる。
そして、その一連の逡巡や あたふたをどこか違う場所から見つめ続けている
ふみさんの透明なまなざしに
まあいいかって
私たちもちょっと、やさしくなれるのかもしれない。
そして
ああ 私は自分にもやさしく生きていなかったと
ふいに、気づかされたのだった。
音を通じて調和する世界を 皆で創造していきたいと思っています。応援よろしくお願いいたします。