【愛しの女子たちへ】『女性のライフスタイル』 ④「専業主婦はお得?」
最近の女子学生たちは専業主婦願望が大きいんですよと大学教員の方々からよく聞きます。2012年末に出た内閣府の調査では、ずっと増え続けてきた「男は外、女は内」の性別役割に反対というのが20代で特に減少したことにもそれは現れています。
離婚して非正規の仕事にしか就けず、経済的に苦労している母子家庭のお母さんたちを見ている私は、この30年、折にふれ、若い女性たちに「仕事は続けた方がいいわよ」と言ってきました。でも、100社近い会社にエントリーシートを出しても、何十社の面接を受けても、思うような就職ができない先輩たちをみたり、実際自分がそういう体験をすれば、結婚して専業主婦になるほうがいいという気持ちになるんでしょうね。そもそも我が国は政府(特に自民党)が「男は外、女は内」という性別役割分業を徹底させるための政策を推進してきました。
男性は一家の大黒柱だからと、その就職・訓練・昇進・昇給等々で優遇し、女性は景気の調整弁として解雇しやすい非正規で採用する。また、男性が会社に忠誠を尽くし長時間でも働けるよう、家庭内で家事育児、看護介護を女性に担当させるために、配偶者控除や年金の第3号被保険者として優遇するといった形です。
女子差別撤廃条約(※1)、男女雇用機会均等法(※2)、介護保険(※3)等々の法律が成立し、少しずつ女性の働く環境が整ってきました。それでも働く時間をセーブするほうが得をする税制が残っているし、何より、子どもが産まれても、預ける場がなくて仕事を辞めざるをえない人はあとを断ちません。第一子の出産で退職する人は今でも7割に達しているのです。これなら最初から、専業主婦でやっていける高学歴、高収入の男性と結婚するほうがいいよなぁ、就活よりも婚活にエネルギーを注ごうと思ったって無理はない。
何を隠そう、私も働くのがバカらしくなって結婚を機にジャパンタイムズを辞めちゃったんです。
一つは残業も休日出勤もいとわず働いていたのにボーナスがほとんどゼロだったこと。あてにしていたのにびっくりして何かの間違いではと聞きにいったら、有給休暇を大幅に越えて休日をとっているからボーナスに影響したとのこと。
スキー確かに私、冬は日曜の朝になると新潟の越後湯沢にでかけ(まだ上越新幹線のない時代でした)、お昼からナイターまでスキーをする。当時はスキーが大流行で土曜のナイターや日曜の午前中はリフトが大行列。日曜の昼を過ぎるとリフトで行列をしないですむんです。そして夜も十分スキーを楽しめる。帰京するのは月曜日。冬の間、時間を作ってはそうやってスキーに行ってたんです。
その代り、土曜は夜まで働いていましたよ。火曜に編集会議があるから、月曜は出社しなくても企画はしっかり家で練っていたし。だからタイムカードを押さないというだけでボーナスがなくなるなんて理不尽だと思いましたね。もちろん規則に無知だった私のせいですから文句は言いませんでしたが、会社勤めに向かないと認識。
二つ目は結婚を機に出版部へ移れといわれたからです。取材して書くことは好きでしたが、人の原稿を編集することに魅力を感じなかった私は、さっさと退社を決意したのです。それに、一度、専業主婦ってやってみたいと思ってたんです。けっこう楽しかったですよ、新婚ホヤホヤの専業主婦って。海軍にいた父は私たちの新居をみて「なんだ、軍艦の寝床みたいな部屋だな」と感想をもらしたほど本当に細長い狭い1DKのマンションの一室でしたが「狭いながらも楽しい我が家」なんて鼻歌を歌いながら、私はインテリアを工夫し、木綿の着物にかっぽう着を着て、姉さんかぶりで炊事をしていた。
ただ、娘時代、まったく家の手伝いをせず、「ごはんよ」と呼ばれても本を読んでるほうが好きだった私が突然料理などうまくできるわけはなく、トントントンとリズミカルな音を立てて大根やきゅうりを切るつもりがツトーン、ツトーンとしか切れない。どうも勝手が違う。こんなはずではないという思いはありましたが。
それでも料理教室に通おうなんて殊勝な気はおきず、魚屋で活きのいいサバを勧められれば〆サバの作り方を教わり悪戦苦闘、それも楽しいものでした。
何より働いていた頃はなかなか読めなかった森鴎外や小林秀雄の全集をじっくり読んだり、浅草や深川の下町を歩いたり、武原はんさん(※4)の地謡舞いや歌舞伎を観にいったりと、たっぷり時間のある専業主婦を満喫していたのです。そうそう白洲正子さんのように着物を上手に着られるようになりたいと日舞も習い始め、藤娘を踊ったこともありましたっけ。でも、この専業主婦業には数ヶ月で終止符を打ったのです。
今回はここまで。
次回「女性のライフスタイル」⑤「貧乏な専業主婦」に続きます。
<脚注>
※1 女子差別撤廃条約
女子に対するあらゆる差別の撤廃を基本理念とし、政治的・経済的・社会的活動などにおける差別を撤廃するために締約国が適切な措置をとることを求める条約。1979年の国連総会で採択され、1981年に発効。日本は昭和60年(1985)に批准した。
※2 男女雇用機会均等法
職場における男女の差別を禁止し、募集・採用・昇給・昇進・教育訓練・定年・退職・解雇などの面で男女とも平等に扱うことを定めた法律。1985年制定、翌86年より施行。その後、97年に一部改正され、女性保護のために設けられていた時間外や休日労働、深夜業務などの規制を撤廃。
※3 介護保険
社会の高齢化に対応し、2000年(平成12年)4月1日から施行された日本の社会保険制度。保険料を納め、要介護・要支援状態となったときに、サービスを現物給付の形で受ける。財源は、被保険者の納付する保険料だけでなく、国・都道府県・市町村による負担があるという特徴を持つ。
※4 武原はん 1903年(明治36年)2月4日 – 1998年(平成10年)2月5日
昭和期に活躍した上方舞の日本舞踊家。「黒髪」、「雪」などの舞を観たが、ぞくっとするような美しさだった。
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