よりのよりどりー杭州サバイバルライフその1.ニックネームはリーベンレン
約25年前。中国。浙江省の杭州という町の片隅の病院のトイレで私は苦悩していた。
トイレはもちろん今では懐かしいいわゆる「ニイハオトイレ」で、溝だけの便器、大事な部分「だけ」が隠れ、考える人ポーズの人々と待つ人々がご対面している。このトイレで私が課せられたミッションは「検査用の尿を取る」だ。
苦悩の時間は短かったと思う。夫の体調不良を機に夫が3年以上単身赴任していた杭州へやってきて3ヶ月。海外暮らしは初体験だったが、素敵な駐妻ライフを知らなかったため暮らしに慣らされるのも早かった私は、他に選択肢はないとさっさと諦めてどうにかこうにか検体を採取した。はずだ。詳細は都合よく記憶から消去されている。
ニイハオトイレ利用の秘訣は「誰とも目を合わさない」「深くものを考えない」に尽きる。
検査結果を待つ間、通訳兼友人のチャンさんは黙ってずっと一緒にいてくれた。夫は仕事。夫の会社で通訳をしているチャンさんがたまたまうちの近所に住んでいたので、中国語のわからない私が困ったことがあると助けに来てくれる。英語は全く通じないので、本当に助かる。
この日私は不正出血のため初めて病院を訪れていた。杭州市で一番良い病院だと連れて行かれたそこは、アメリカの援助が入っているという話だったが英語のえの字も書いてない広くて綺麗なローカル病院だった。しかし夫も前年にここで急性盲腸炎の手術をしている。術後もよかった。やっぱりここしか選択肢はないのだ。
婦人科で病状を説明するとまず尿検査と言われて冒頭の状況になったわけだ。
検査結果を聞くために再度診察室に入ると、私の周りに座っていた人々が一緒にぞろぞろとついて来る。そして医師の説明を一緒にウンウン頷きながら聞いているのだが、医師もチャンさんも看護師も誰も咎めない。明らかに順番待ちの患者たちなんだけど…
後からこの人たちはただ順番が来るまで暇だからついでに入ってみた、いわゆる野次馬だったとわかる。今ではもう考えられないが、当時は当たり前の光景だった。そして嫌ならダメだと言ってドアを閉めればよかったということを、25年越しで最近友人から教えてもらった…
さて、検査結果は「妊娠」だった。けれども不正出血しているので切迫流産の可能性がある。入院するか自宅安静するかと聞かれた。
私の頭の中にニイハオトイレや廊下で見かけた謎の色をした病院食、廊下で寝る付き添いの人などの光景が次々浮かび、その中で患者生活を送る自分を秒で想像してみた。結論は「自宅療養したいです」だった。
出血が次の検診までに止まらない、もしくは増えるようだったらすぐ病院にくるように、と言われて家に帰った。チャンさんにお礼を言ってすぐにパジャマに着替えて横になる。夏だったけれどお腹は冷やしたらいけないと思って布団をお腹にかけた。
結婚5年目、最初の子は色々あって残念なことになったので、今回は産みたい、と思っていた。
早く出血が収まって普通の妊娠生活が送れますように。祈るしかなかった。寝室の窓からはすぐ横を流れる運河が見える。運河には貨物を満載にしたポンポン船が24時間ひっきりなしに行き来していて、死ぬほどうるさい。
1990年代終盤、香港が中国に返還される直前。街にいる日本人で家族連れはうちだけで、近所一帯から私は「リーベンレン(日本人)」というニックネーム(?)で呼ばれていた。