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そのときわたしたちは-その18

私夢中になれるものを見つけたよ。

それはね。。


上海に戻ってから徐々に不安定になっていた次女の様子が気になりながらも、自分もなんだか手一杯で充分にケアしてあげることができないのをもどかしく感じていた時だった。

隔離中でも授業はオンラインで時間通りに行われるから、次女は毎朝7時には起きてまず担任に自分の健康状態とどこにいるのかを中国版LINEであるwechatで送る。8時から2時まで、授業時間は短縮ながらも普通に授業。体育は筋トレ動画を撮影して送ったり、音楽は楽器の演奏を送ったり。テストもオンラインで行われ、宿題も出される。

通っていた中国語教室や塾もオンラインで授業再開していたので、夜も何かと用事がある次女。

毎日結構忙しいので、あれこれ思い悩まずにいられるだろうと思っていた。オンラインのクラスチャットでクラスメイトとも連絡をとっているし、なにより明るくて楽天的な性格で、こんな不自由な暮らしでも結構楽しんでくれていると。


けれども、切り花が少しずつ萎れていくように次女の心は弱っていたのだった。夢中になれるものを見つけたよなと伝えてくれた彼女は、久しぶりに本当に楽しそうだった。


あのね、それはBTSだよ。


BTS?BTSだったらもう何年も前からファンだったはず。夢中になれるってどういうこと?と思った。

上海に引っ越して最初に入学したのは風変わりなイギリス系のインターで、何かにつけて校長が「イギリス的であるかどうか」を基準にする人だった。生徒にイギリス人は一人もいないし、なんなら先生もスコットランド人や移民が多くて厳密にはイギリス人の先生しかいないと言えないのでは?という状況下で、休み時間に遊びで流す音楽一つとってもイギリスのものかどうかをチェックしていた。生徒の大半は英語が全くできない中国人で、両親も英語ができず学校の公用語はほぼ中国語になっていたというのに。

そんな中、次女のクラスでものすごく流行っていたのが「タンジンジェンダンス」だった。GoGoのことだと今はわかるけれど、当時は踊っている本人達も誰の曲で何の踊りかもわかっておらず、ただ楽しいからとひたすらに誰も理解できない韓国語のその曲をエンドレスで流していて、何故かその曲だけは学校も許可してくれていたのだった。

その時次女は初めてBTSの存在を知って、以来ずっと好きだと言っていたはずだった。

一時帰国の時は必ず新大久保に行って何かしら買っていたし、日本語版のCDも持っていたし。けれども今改めてなぜ言うんだろう?


次女はぽつぽつ話し始めた。隔離中で私以外に聞く人はいない。

「私、コロナで外に出られなくなってずっと家にいるようになった最初は、学校に行かなくていいなんて楽ちんで、オンラインで友達とも連絡取れるし問題ないと思ってた。でもね、だんだん何にもやる気がしなくなって、ぼーっとすることが多くなった。

MTVでMVを見たりする時は楽しいけど、終わると前よりもっとつまらなくてどうでも良くなって、こんなにつまらないならもう死んじゃっても同じなんじゃないかと思ってた。

いつまで経っても外には出られないし。でも、日本に帰ったら皆普通に生活してて、ますます私がいなくなっても誰も気が付かないなって考えるようになってた」

たしかに極度の怖がりの次女は、ベトナムから帰ってからどんなに誘っても一度も外に出なかった。日本でも何か言われたら怖いと言って、一回だけ友達に会いに行っただけであとは一人でずっと留守番していた。そして今は隔離で出られない。毎日小さなベランダで猫と一緒に手のひらを上に向けて1分間日向ぼっこをするだけが次女が外に出る時間だった。

骨を作るビタミンDは、手のひらをおひさまに1分間当てるだけで作られるんだって。ビタミンDが足りないと骨粗鬆症になっちゃうよ。

何気なく言った私の言葉を守って、外はどこにウィルスがあるかわからなくて怖いけど1分間だけ出ることにしたのだ。その時だけ。


「でもこの間気がついたの。ぼーっとしていてもBTSの歌だけは耳に入ってくるんだよ。今までは韓国語がわからないから、韓国語の曲は飛ばしてたけど、韓国語の曲でもちゃんと耳に入ってくるの。それでネットで歌詞の意味を調べるようになったら、もっと韓国語がわかるようになりたいと思ったの。他のkpopアイドルの曲も、日本の歌手の曲も音が鳴ってるだけで全然興味が持てなかったのに、BTSだけ違うの。だから、私はハングルを勉強したい。今韓国人のクラスメイトにチャットで教えてもらってるの。ノートに歌詞を写して覚えるの。それでね、いつかvliveやweverseに韓国語でコメントを送れるようになりたい。そうしたら、BTSが読んでくれるかもしれないんだって!私のメッセージを見つけてくれるかもしれないって思ったら、すごく頑張りたいって思ったの。死んじゃったら会えないなって。だからね、私がんばるよ」

次女があれこれ教えてくれてくれていたけれど私にとってあまり興味の対象ではなかったBTSについて、それからはずっと次女に教えてもらって「お勉強」することになった。ハングルまではちょっと手が回らないので許してもらったけれど、隔離の残りの日々はずっと次女と一緒に色々な動画やコンテンツを見た。そうすると次女とたくさん話ができた。

日本語の理解が少し苦手な次女は、BTSの発言や歌詞の意味をうまく理解することが難しいことが多くて、そこを掘り下げることで図らずも日本語の勉強にもなった。

そうして私は次女の心に希望を与えてくれる存在に感謝した。もっともっと知りたいと思った私の話は本筋と関係ないので今は省略する。

韓国語ができるようになりたい一心で韓国人のクラスメイトにどんどん連絡を取り、仲良くなって次女の世界はまた広がった。

その時日本人のクラスメイトは皆中国で感染するのを恐れて帰国していたので、こちらにいて時差なく話せる韓国人の友人たちの存在は貴重だったし、それ以外に次女に新しい友達ができて私が良かったと思うことがあった。

それまで次女は転校した今の学校で当たり前のように数人の日本人グループに組み込まれ、日本人だけと一日中一緒にいる学校生活を送っていた。インターなのに、授業以外で英語を使わない奇妙な生活だった。

日本で過ごした数年以外でそんなに日本人だけの中で過ごすのが初めての次女は、その世界が全てになってそこにいる人たちに嫌われたら終わりだと強く思っていたようだった。付き合いが辛いとよく言うようになって、自分がいわゆる「普通の日本人」というものと少しずれていると指摘され続けて、「普通に」「みんなと同じに」しなければならないと思い込んでいた。自分の好きなkpopは他に好きな子がいないから否定され、アニメを観るように言われたり、行きたくないプリクラを撮りに行ったり。そういう毎日も次女を知らない間に少しずつ疲れさせていたのだった。

コロナで大きなストレス下に置かれたけれど、BTSのおかげで心は生き返り、韓国人の友人達がさらにたくさんの楽しみを教えてくれた。

今では次女は嫌な時はハッキリと断り、英語と中国語と韓国語を交えて仲良し達と楽しく会話して、日本人ともうまくやっていける強さを身につけた。それはきっとコロナにならなかったら得られなかったものだと思う。

吹っ切れた次女は元の明るさを取り戻し、賑やかな日々が戻ってきた。泣きたいくらい嬉しかった。