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そのときわたしたちは-その11

息子からLINEが来ていた。


卒論終えて久しぶりに下界に降りたら、トイレットペーパーがありません。


だから連絡しておいたでしょう!と画面に突っ込む。このマイペース息子は、やりたいことに夢中になっていると寝食を忘れてしまう。日頃からテレビも見ないし、連絡もつかない。

今はどこにもないみたい。出かけるたびにこまめに探して、見つけたら割高でも買うように。私たちが行く日はわかってるよね?大丈夫?

珍しくすぐに返事が来た。わかってます。お昼にデパートで。

トランクルームに預けられなかった長女の小物類を息子に預けていたのだった。それを取りに行かないと。彼の都合を聞いていたら、私たちが戻る2日前しか空けられないとのことだった。持ち帰って、最後の片付けをして私と次女は前泊する予定の空港ホテルに移ることになっていた。

日本の小中学校の一斉休校が突然決められた。オンライン授業に切り替えるように国は言うけれど、今まで一切学校でネットを使ったことがないのにどうやって?!と日本もパニックになっていた。次女のお友達も休校になった。私立なので先生方がこまめに連絡をくださって。来週1週間分の課題を郵送してくださるそうなの。ネットが使えない子もいるから全部紙でひとまず。

日本も大丈夫なのかしら。。感染者数は少ないながらもゆっくり増えている。イヤな感じだった。


引越しし終わっても手続きが残っている。住民票を移して、銀行口座を作り、郵便局の口座の住所変更をして、光熱費引き落としの申し込みをする。大学に住所も知らせなくては。あとは何が?

幸い長女の新居の徒歩5分圏内に銀行も郵便局も区役所もあったので助かった。

そういえば、住民票を作る時に帰国した日付のスタンプを押されたパスポートが必要なのだが、その帰国日と入居日が違っていると区役所で言われて思わず笑ってしまった。契約が3月からだったので、入居日を3月1日にしてしまったからだ。

帰国してから1日までどこにいたんですか?

自主隔離のためにマンスリーにいました。短期間だし隔離中なので外出できなかったんですが、帰国してすぐにマンスリーのある市に2週間だけ住民票を入れないといけなかったんでしょうか?

すると職員の方は苦虫を噛み潰したような顔で、まあ、いいですけど。。と言った。何が正解だったのかはいまだによくわからない。

銀行口座も簡単には作れないようになっていたし、銀行でも郵便局でも困ったのは印鑑!

何年も使っていなかった私と初めて自分の印鑑を持った長女は二人ともうまく押せなくてやり直しの嵐だった。


いよいよ息子と会う日の前日だったと思う。夫から連絡があった。

上海入国時の厳戒態勢が1ランク上がった。どうやら私たちが帰ったら、2週間の自宅隔離になるらしい。隔離中に隔離対象ではない家族と同居できるかは不明。


在住者の情報交換チャットもにわかに動きが激しくなった。

戻る予定の便がキャンセルされた。どんどん便数が減らされている。

新しいアプリ登録と手続きが必要になって、到着してから空港を出るのに8時間かかりました。飲み物食べ物、小さいお子さんのオムツやおやつを多めに手荷物に入れたほうがいいです。

ドライバーが迎えに来ていないと、地区の手配したバスに乗らなくては行けない。タクシー、公共交通機関の使用は禁止された。地区のバスは満席になるまで出発しないので、座席についてから出発まで4時間待った。などなど。


うーん、これは面倒なことになった、と思った。わからないことばかりの上情報が錯綜している。夫もこっちで調べてもよくわからないという。領事館も事態が把握できておらず、行ってみなければわからないことだらけだった。

けれども、夫と私の認識は一致していた。

今を逃したら、当分上海には戻れなくなる。


上海市は感染者をほぼ0に抑え込めるところまで来ていた。現在の感染者は殆どが入国者だった。ここで規制を一層強化して市内の生活を元に戻していくことが優先になったのだ。だとすると、この先しばらくは出入国制限が続くだろう。今なら自宅隔離で戻れる。

この時点で、私たちの帰国をもう少し伸ばして日本の様子を見て、長女の大学の授業がどうなるか確認してから戻る、というプランはなくなった。一人で暮らしたことのない長女を置いていかなくてはならない。入学式も一人で行かせることになってしまうかも。


翌日息子と待ち合わせした焼肉屋でそんな話をした。私たち、戻ったら当分帰れなくなると思う。じいじ達も遠くにいるし、何かあったらお兄ちゃんが助けてあげてね。

大好きなあぶり肉寿司を追加注文しながら長女が言った。


やっぱり一人で入学式行くのやだな。。入学式の看板の前で写真撮りたいし、知らない人に頼むのもイヤ。きっとみんなお父さんお母さんと来るのに、一人だったら悲しいし。


じゃあ僕が行ってあげるよ。


息子が言った。

僕の院の入学式と被ってないし、長女がイヤじゃなかったらだけど。

長女は中学生の時からの苛烈な反抗期で、兄と妹に自分に近づくな!ダサい奴らが隣に並ぶな、話しかけるな、とずっと無視していたのだ。息子も当然妹に好かれているとは思っていなかった。

色々アクシデント満載だった受験を終えて少し大人になったせいか長女は、え、来てくれるの?と嬉しそうにした。

お兄ちゃんが来てくれるならいいや。大丈夫。


こうやってきょうだいが仲良く話をする日がまたやってくるなんて、一年前までは思いもしなかったけれど、コロナのおかげで優しい気持ちがみんな戻ってきたのかもしれない。

一人帰らなくてはいけない次女が、いいなあ!私だってお兄ちゃんと一緒に学校行きたい!と言ったので、長女はますます満足そうだった。


食事の後、息子の買い物をみんなでした。食料品、日用品、洋服、靴。会える時にできるだけ買ってあげたいしなんでもしてあげたいといつも思う。

息子も娘もきっと私たちが本帰国しても一緒に暮らすことはもうないだろう。ただいま、と帰ってきてくれることはないだろう。息子は上海に来ると家に入る時お邪魔します、と言う。よそのおうちみたいに。

いつかパートナーを見つけて自分たちの家族を作っていくだろうけれど、その時までは離れていても家族だから。一緒に買い物くらいしかできないから。