そのときわたしたちは-その7
急にマスク姿が目に入るようになってきた。レストランや店員、市場のおばちゃんまで。
私はお土産はマスクにする、と宣言した。他のものも買うけど、行った先で見つけたらマスクを買うと。2個持っていったスーツケースの半分はマスクで埋まった。
夫も休み明けからリモートになったという。次女もオンライン授業の詳細と課題が送られてくるようになった。とりあえずの心配は、無事に戻れるか。
ベトナムも社会主義国だ。中国よりもずっと緩いけれど、やる時はやるし、もともとまだ衛生面では先進国よりも遅れている。
鳥インフルの時を思い出した。鳥インフルが初めて人に感染したのもベトナムで、その時も都市間の移動が一時的に制限された。そのせいで息子の修学旅行が中止になったのだ。
今回はどうなるだろう。私たちの帰国は2日後。
テレビとネットでニュースをチェックしつつ、街も歩いた。ローカル市場、大教会、ハノイでお気に入りだったカフェチェーンで一休みして、次女の大好物Miloを買う。不思議なことに中国ではMiloを滅多に見かけない。ベトナムは紙パックもあるし、スナックもある。フォーのスープキューブに蓮茶、3in1のスティックコーヒー。
韓国系のスーパーも見つけたので、上海より安くなっている化粧品などを長女が買っていた。お店に来る韓国人は皆マスクにサングラスで完全防備だ。消毒ジェルはどこでも売り切れ。
いよいよ帰国の日。またハノイでトランジットの予定。
ダナンの空港は混雑していた。春節が終わって中国に戻る人が多そうだった。中国人だけでなく、韓国人も欧米人も。みんなマスクをするようになっていた。
なんとなく口数少なく飛行機に乗る。ハノイのトランジットは3時間ほどだったので空港で待機した。最後にどうしてもフォーが食べたくなってみんなでレストランを探す。
チェックイン後に利用できてベトナム料理が食べられるレストランは3つだった。一つは見知ったお店だけど満席、もう一つも混んでいて、最後の一つは客が誰もいない。
客が誰もいない店を選んだのは、感染を恐れたせいというよりも、ハノイのフォーはどこで食べてもまあまあ美味しいからだ。
レストランガイドに載るような高級店よりも道端の3時間しか開かない店の方が美味しかったりするけれど、基本的にフォーの麺が生麺だったらどこでもそれなりに美味しい。
そのガラガラのお店ももちろんじゅうぶん美味しくて、私たちは満足だった。中国で食べるフォーは中華ナイズされていたり高級料理にカスタムされてしまっていて、具材が多すぎるしスープが甘すぎる。シンプルに鶏とハーブしか入っていないフォーガーはとても美味しかった。
上海に着くと、空港の様子が一変していた。全てのスタッフが防護服を着ていて、途中のトイレなどの立ち寄りもチェックしているし、サーモグラフィーが至る所に置かれて体温チェックしている。一人ずつ発熱していないことを確認するので列が滞って、いつもの倍くらいの時間をかけてやっと出られた。
家に戻る時に乗ったタクシーの運転手に、夫が最近の市内の様子を尋ねた。「いやあ、市内は特に変化なしですよ。入国時に感染者が見つかるけれど、市中感染はほとんど出ていないし」まだこちらまで感染の波は来ていないようだった。
夕方に帰宅できたので、近所の動物病院に預けていた猫を引き取りに行った。ここのペットホテル担当のオバチャンはすごくいい人で、うちの子も何度も預けているので癖もよくわかってくれていて安心できる。
「今回も初日は怒ってご飯食べなかったけど、すぐに諦めていい子にしてたよ〜。よかったねえ、お母さんが迎えにきたよ」
猫はすっかりヘソを曲げているので、オバチャンにしがみついて知らんぷりをしていたけれど、いつものお出かけ鞄を開けるとダッシュで飛び込んできて、早く帰ろうとばかりににゃあと鳴いた。
「あらあら、もう帰っちゃうの?またおばちゃんのところにおいでね。待ってるからね」
ニコニコして見送ってくれた。
この動物病院もコロナの影響で休業を余儀なくされてその後休院が続き、再開の時はオーナーが変わって別の病院になってしまったので、このオバチャンと会うことは結局なくなってしまった。
大々的な変化はないけれど、こうやって小さな別れや変化が次々に起こっていく。そんな日々が始まっていた。
春節明け、上海の外出規制が始まった。