そのときわたしたちは-その14
翌朝身支度してホテルをチェックアウトした。感染対策なのかロビーのスタッフも最小限にして、チェックアウトは機械で済ませるようになっていた。人に会わなくてよくて気が楽でよかった。
スーツケースを4つ、手持ち用のキャリーバッグが2つ。リュックが2つ。2人搭乗時の最大個数の荷物を持ってチェックインカウンターへ向かう。ひと気がなくて一瞬青ざめたけれど、時間が早すぎてカウンターが空いていないだけだった。とりあえず列に並んで開くのを待つことにした。
飛びますよね?と近くにいるスタッフに聞いた。
はい、大丈夫です、と言われてやっと安心する。なんとか帰ることはできそうだ。隣で聞いていた次女もホッとしたように笑っていた。
チェックインを済ませ、ショッピングフロアに行ったが、やはり天丼屋さんはまだ空いていなかった。ざんねーん、と次女が笑った。そんなに天丼好きじゃないくせに、と言うと、だって日本の味じゃない、と言った。
お土産用のお菓子を買って、中に入った。やはり乗客は少ないようで閑散としている。あっという間に出国手続きを終えて、私たちは出発ロビーを目指した。
途中の免税品を見ながら、ここに長女がいたら、化粧品を買わされていたな、絶対。と思う。だって免税でしょ?いつも買ってくれないじゃん、お友達はみんなサンローランやディオール使ってるんだよ。上海の子は贅沢で困る。
もう動きたくない次女を出発ロビー前のベンチに座らせて、食料の買い出しをする。ふと思い立って、ついでに夫用の食料も。ふりかけやお茶漬けの素。ホテルにレンジはあるだろうか?最悪のパターンを考えておく癖は、20年以上前に中国の地方都市に暮らしたときに身についた癖だ。突然何が起きるかわからないから、いつも最悪の事態を考える。そうすれば、そうならなかったときにラッキーだったと思えるから。
機内で食べるお弁当やサンドイッチ、飲み物も2本ずつ買って次女のところに戻った。おかあさんいっぱいすぎ!怒られた。もうスーツケースもいっぱいあるんだよ?!
わかってるけど、お父さんと会えるかわからないし、空港を出るまで何時間かかるかわからないし、とりあえず、ね?
何がとりあえずが自分でもよくわからないけれど。
いつもならぶらりと見て回る化粧品なども見る気が起きず、ひたすら搭乗口でスタッフの動向を眺めて以来。まずは飛びますように。
拍子抜けするほど時間通りに搭乗案内が出て、順調に乗り込んだ。慈善に人が近くにいない座席を指定しておいたのだが、結構周りに人がいる。ほとんどの乗客は中国人だ。旧正月明けに日本に避難でもしていたのだろうか。
客室乗務員が一人やってきて、「より様、いつもご利用ありがとうございます。ご苦労様でございます。」と挨拶された。こんなことは初めてだった。いつもエコノミー利用だし。
「本日のフライトは乗車率50%ほどですので、後方の座席は空いております。ご心配のようでしたら、移っていただいて構いません。横一列自由にご使用ください。」
感染防止のためか、乗客を分散させるために回っているのだった。私たちはありがたく移らせてもらう。中国人達はほとんど動かなかったので、本当に後方は数組の日本人客で貸し切り状態だった。
座席もカバーされ、機内食も出なかった。個包装のパンのようなものが出たんだっけ?ああもう記憶が曖昧だ。。それなのに、お手洗いに当時は品薄で手に入りづらかった消毒液があったこと、乗客が動くたびにスタッフがいた場所を丁寧に消毒していたことは覚えている。
上海までは3時間、飲食できなくても行ける距離だ。映画でも見て紛らわせよう、となんとなくつけたドラマ。グッドプレイス。私はいつ頃グッドプレイスに行くのかしら。いやそもそも行けるかわからないか。。
ドラマを見ながら眠ってしまったらしい。機体が着陸する間食で目が覚めた。さて本番はここからだ。必要な書類への書き込みなどは眠る前に済ませてあるが、プラスでどのくらい必要か。
機内アナウンスがあった。
座席番号◯番から◯番はAグループ、△番から。。」前方から3つのグループに分けられるということだ。そして順番に呼ぶので待て、と。
近くにいた中国人が騒ぎ出した。私は党の幹部に親戚がいるんだ、順番を早くしてくれ!忙しいんだ、そんなに待っていられない!
中国人スタッフが宥めに行く。すみません、政府の指示なので何卒ご了承を。急に制度が変更されたので、私どもも詳細がよくわからないのですが。すみません。
待つしかないよね。事前に話しておいたおかげか、次女は落ち着いていた。映画切られちゃったから、スマホで動画見ててもいいかな?
いいよ。
このあとはきっとそんな時間もないだろうから、という言葉は飲み込んだ。