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そのときわたしたちは-その16

空港から家までは車で40分はかかる。車内で夫と再度連絡。

こっちは車に乗れたよ。そっちは?

僕もタクシーでもう向かってる。こっちの方が早く着くかも。先に着いたら守衛にどうすればいいか聞いておくから。

ドライバーは何度か利用させてもらった方なので、私も次女も顔見知りだった。カメラから逃れるように慌てて乗り込んで空港を離れてやっとお礼が言えた。

今日は来てくれてありがとうございます。お手間をかけてごめんなさい。

この方にも家族がいる。もし私たちが無症状患者だったら。。と考えると申し訳なかった。

大丈夫大丈夫、それよりお疲れ様でした。

外出禁止は続いているので車はまばらで、いつもよりも早く家まで着きそうだった。夫は私たちより5分ほど先に着いたようで、再度連絡があった。

やっぱり会ってはいけないって。入り口で守衛が手続きを手伝ってくれるらしい。僕はいま自分の荷物を出して、ホテルに向かうから。

もう自宅隔離は始まっているのだ。

マンションの入り口に着くとすぐに守衛が数人やってきた。スーツケースは部屋の前まで持っていっておくから、門の方に来るようにと言われる。二人の守衛が荷物を持っていってくれた。私たちの住む棟から門までは数十メートルだが、誰とも接触しないように残りの守衛が前後を固めて見張っていた。

この人たち隔離されます、ってお知らせしているみたいだな、と少しおかしくなった。大名行列みたい。

門に着くと、これまたいま勤務している守衛が全員集まっているのか?と思うほどの人だかりができていた。私たちを見つけると彼らは口々におかえり!おつかれさま!と笑顔で声をかけてくれた。一人の守衛が外を指差して言った。

あそこに旦那さんいるよ

夫は私たちが無事に到着して手続きできるか気になって、門から出たものの立ち去れずに歩道で待っていたのだった。あ!お父さん!と次女が気がつき手を振った。隠れてるつもりなのかな?背が高いから全然かくれられてなーい!と笑う次女を見て、守衛もみんなニコニコしていた。

上海に住むようになってから私たちは一度も転居していないので、彼らは次女が私よりはるかに小さい頃から知っているので、いまだにちょっと小さい子扱いだ。もう彼女は私より頭ひとつ分大きいのに。


顔馴染みの守衛がもういいだろうという風に夫に合図すると、夫は去っていった。これから私たちの隔離が終わるまでの2週間、徒歩10分ほどのホテルで過ごしてくれるのだ。私たちが慣れないホテルで隔離生活にならないように。ありがたかった。

守衛達の奥から防護服姿の女性が二人出てきた。私たちは地区委員会のものです。今からあなたたちの自宅隔離についての説明と手続きを行います。

数枚の書類にまた必要事項を記入した。住所に氏名、電話番号、パスポート番号。隔離が終わるまでに守らなければいけないことを読み、守る旨のサインをした。

一方で同じような内容を地区委員会宛にデータで送らなければならないようで、スマホで入力するように言われた。中国語だから間違いのないように最後まで文を読んで一つずつ入力していると、俺がやってやるよ、と顔見知りの守衛が私のスマホを持って入力し始めた。記入した書類も見ずに正確に私たちの情報を入れていくのに驚く。うわあ、やっぱり筒抜けなんだ。別にいいけど。

そういうところだとわかっているし、知られて困るような隠し財産があるわけでもないし。そもそも日本でだってカード情報などからあらゆる情報が色々なところに筒抜けなわけで、それを知られてない体にするかしないかの違いだと思っている。


手続きに30分ほどかかり、ようやく部屋へ向かう。守衛と地区委員会の女性たちも一緒だ。

部屋の前で最後の確認。午前と午後に検温に来るので必ず出るように。ゴミは指定の黄色いゴミ袋に分別せずに全て入れて毎朝部屋の前に置いておくこと。黄色いゴミ袋には医療廃棄物と書かれており、消毒してから運ばれるとのこと。2週間すぎて再度地区委員会から派遣された医師が確認するまで一切の外出は禁止。デリバリーや宅配は担当の守衛が部屋まで運んでくれるなどなど。

部屋まできた守衛が担当のようだった。俺が全部やるから任せてくれ、と言ってにっこり笑った。なんだかホッとした。

やっと次女と部屋に入れた頃にはすっかり日が暮れていた。朝6時起きで日本を発ったのが遠い昔のようだった。

荷解きもとりあえずで二人で猫のところに向かう。夫も昼からいなかった辛く、半日以上ひとりで待っていた猫。

ずっと聞いたことのない人たちの声がドア越しに聞こえていたせいで少し警戒していたけれど元気そうだった。よかった。私たちのたいせつなもうひとりの家族。帰ってきたよ。

部屋の中は予想通り。。荒れていた。オットは一切家事というものができないから仕方がない。隔離の間は大掃除だ。

何はともあれはじまったのだ。私と次女の自宅隔離。