よりのよりどりー杭州サバイバルライフその10. 太ってよかった!

やっぱり日本にいればよかったー。

戻ったら戻ったでそう思う自分は何とワガママなんだろうか。テレビは相変わらず東京ラブストーリーとチャンドンゴンの韓国ドラマだったし、ポンポン船はうるさくて私はすぐに後悔した。しかも私のいない間に運河の向かい側にあった建物を取り壊して公園にする計画が進んでいて、一日中ものすごい音でコンクリを割る音まで加わっていた。朝5時から夜10時過ぎまで。気が狂う、と思った。幸いお腹の子は元気で、よく動いた。

ようやくつわりも終わり、食べられるものを好きなように食べて順調に肥えていた。冬に向かって食料の種類が乏しくなっていく中、私がハマったのは文旦だった。冬にポピュラーな果物だった文旦は、旬がやってくると道端に文旦の屋台が乱立するようになる。皮がパンパンに張っていてズシリと重いものが実が詰まっていて美味しい。自分で吟味した文旦を選んでお願いすると外側の分厚い皮を剥いてくれる。剥くとびっくりするくらい身が小さくなってしまう。それを毎日一個ずつ買って、昼食がわりに毎日丸々一個食べていた。

毎日1時間ほど散歩していたけれど、以前は痩せすぎてたせいか全く目立たなかったお腹がだいぶ出てきて、道ゆく人によく声をかけられるようになった。もちろん全員知らない人だ。私が知らないと思ってるだけで相手は私のことをリーベンレンだと知ってるけど。

あら、しばらく見ない間に太ったねえ

もしかしておめでたかい?今何ヶ月?

ちゃんと栄養のあるもの食べてるかい?子供のためにもっと太らないと!

大抵この3つがセットで、10mおきくらいに話しかけられるから、全然散歩にならないのだった。当時杭州ではまだ妊婦さんはたくさん食べていっぱい太らないと元気な子供が産めないと言われていた。そして一人っ子政策のため街ゆく人に妊婦さんの姿はとても少なく、赤ん坊や小さい子供はとてもとても大事にされていた。そして太った人は豊かで幸せそうに見えると言われていて、太ってよかったねえ、よかったねえと褒められた。当時は町中に身長体重測り屋さんがいて、移動式の計測器を持ち歩きながら練り歩いており、お金を払って自分の身長体重を測ってもらうのがみんな大好きだった。この機会の一番の問題はすごく大きな音で身長と体重を読み上げること。10mくらい離れていても聞こえた。皆嬉しそうに測ってもらっていて、文化の違いを感じた。

チャンさんも20kg太ったと言っていた。その後どうやって戻したのか、私が出会った時はスリムな女性になっていた。出産のために日本に帰るまでの1ヶ月半の間、私はチャンさんや夫とあちこちに出かけてベビー用品を探した。ずっと探していたのはベビーベッドとベビーガードで、これはうちの床がコンクリに板を乗せただけの死ぬほど硬くて冷たいフローリングだったからだ。眠っている間に赤ん坊が床に落ちたら、遊んでいる時に転倒したら、そんな心配ばかりしていた。

幸いデパートの片隅でベビーベッドは見つけられ、帰国前に寝室に設置できた。私はベビーベッドのサイズを測った。ベッドはあるけれどベッドにあった布団は売られていなかったので(!)、日本で買って来なければならなかったのだ。ベビーサークルとベビーガードは日本で買ってくることにした。私はこの時も片言の中国語しかできないボヤーっとした日々を送っていた。杭州で妊婦健診に行くこともやめた。あの集団で割り込んでくる見知らぬ人たちに耐えられそうになかったから。

季節は冬に変わっていき、年が変わって2月初めの春節休暇に合わせて私は出産のために里帰りした。予定日は3月中ばだったから、出産まで1ヶ月以上余裕があった。はずだった。