よりのよりどりー杭州サバイバルライフその4.水を2リットル
特級先生の診察はいつも通り衆人環視の元で行われた。
「出血が止まったならもう大丈夫だろう。予定日などを調べたいからエコーを取るので、水飲んで」
は?
チャンさんが売店で大きな水のボトルを買って一緒にエコー室までついてきてくれた。水、2リットルボトルなんですけど何に使うの…?
訝しんでいる私にチャンさんが「じゃあ、はいこれ飲んで」とボトルを渡してきた。
「水飲むの?これ全部?なんで?」びっくりして日本語が片言になった私にチャンさんは冷静に答えた。
「水飲んで膀胱膨らませないとエコーが取れないからよ。さ、飲んで」
日本でもエコーなんてとったことのない私は、そういうものなんだと納得したけれど、そもそもすでにつわりが出始めていたので一気に水を飲むのは死ぬほど辛かった。しかも膀胱を膨らます目的だから、トイレにも行けない訳で。
ボトルの半分まで30分かけてなんとか飲んだところで「もう無理です」と泣きついた。半泣きで水を飲む私の隣で、チャンさんは古新聞を折り紙にしてゴミ箱をいっぱい折って待っていてくれた。きっとひまわりやかぼちゃの種の殻を入れるのだろう。
憧れの(笑)診察台に上がってようやく息子と対面(?)できた。お腹をぎゅうぎゅう押されてまた出血しそうな気がするしトイレに行きたくなるしで大変だったけど、私のお腹に息子はちゃんといてくれた。頑張ってくれてありがとう。元気に出てこられるようになるまでもう少し頑張ろうね。
そういえば、流石にエコー室は関係者以外立ち入り禁止だったな。
特急先生の下にエコーのデータとカルテを持って行き、再度診てもらった。当時の病院では、患者は自分のカルテは自分で保管する方式で、各種検査の結果も自分で受け取って持ち運んだ。合理的ではある。病院変えても紹介状とかいらないし。
3月12日だね、と特急先生が言った。子どもの予定日。皆感じることだと思うけど、考えていたより早かった。そんなに早く会えるの?と嬉しかった。でも私には聞かなくては行けない大事な質問があった。
「日本に帰っていいですか?」
ポンポン船の音のしないところで眠りたかったし、ここで受けた検査や医療が適切だったかの確認もしたい、それに何より母子手帳がもらいたい!初めの子が空に帰ってからずっと母子手帳を持ってみたいと思っていた。手術を受けた病院の待合室で、病室で、母子手帳を持って歩くおかあさんたちは当時の私の憧れであり少し切ない存在だった。
めちゃめちゃに目がキラキラしていたと思う。でも特急先生は至って冷静に「無理」と言った。
安定期に入るまで我慢しなさい。
安定期っていつからですか?
5ヶ月からだから、あなたは10月ね。
あと3ヶ月…でも子どものためには頑張るしかなかった。幸い普通の生活に戻していいとのことだったので、少し気分転換もできる。東京ラブストーリーも観られる。あと3ヶ月頑張ろう。