👜突然バックパッカーになったハナシ01👜

当時、私は「バックパッカーになる」という男を好きになってしまっていた。
いや、既に付き合ってしまっていた。
私の恋愛は90%一目惚れで、100%の割合で即日付き合うことになるという驚異的な記録を持っている。
この男もそうだった。初デートでいきなり屁をこかれ、「やっぱり素敵だなぁ」と何か運命を感じてしまったのだ。

その男のことはY田と呼ぼう。
Y田と2年ほど付き合った頃、
「そろそろお金も貯まったから、出発しようと思う」と言われた。
知っていた。その事は。
正しくは覚えていた。
付き合う時に宣言もされていたし、頭の中ではわかっていたつもりだった。
そんな私ときたらその間、ふわっとデザインの仕事や絵描きの仕事をしつつ、派遣会社の派遣元で社員として働いていた。
音楽好きのY田の影響でクラブに出入りするようになり、私生活は結構荒れていた。
いや、だらしなかった。貯金もほぼなし。

そんな分際にも関わらず、私はY田が離れること、私より何かを先に経験する事がどうしても許せなかった。

前にも述べたが、この時私はOLだった。デザイナーとして、地方に本社のある派遣会社に雇われていた。初めはイラストの仕事や求人広告のデザインをメインに任されていたのだが、この時世は大不況により、「派遣切り」真っ只中。
営業所にいた2人の社員は本社に戻ってしまい、私一人で30名の人材を管理しなければならなかった。
派遣社員というのは、中にはなかなかワガママな人間もいて、日払いが出来ないとわかると(その人の申請ミス)泣きながら営業所に来たり、落ち込んだりと散々な目に遭う日々が始まった。
なかなかのストレス。
週末はそれを洗い流すかのようにクラブでテキーラを浴びていた。
勿論記憶も飛ばし、仕舞いにはTバック丸出しで泥酔した事から「Tバックしゃぁ姉さん」というあだ名までつく。
「しゃあねぇ」とは岡山弁で「仕方ない」
今わかることは、仕方なくはない。
そんな、なかなかのクズっぷりで周りに迷惑や心配をかけつつ生きていた。

そんな現実とは裏腹になんだかいつもモヤモヤしていて、もっといろんな事を経験したいと真剣に思っていた。
そんな最中のY田からの「出発宣言」である。
私は翌日、本社の上司に伝えた。
「バックパッカーがしたいので、辞めます」

めちゃくちゃに迷惑なハナシだと思う。
本社の上司から、「派遣切りになった人たちに、その事を伝えるまでがお前の仕事やで。あとあと一ヶ月、頑張らなあかん。」と告げられた。
それはなかなかに壮絶だった。
「〇〇さんは更新が出来ません。」と言った時のあの顔は未だに忘れられない。
「パチンコ、明日から辞めろって言うんですか?!」と胸ぐら掴まれたことも、きっと忘れない。いい瞬間はそれ以上にあったが、ここでは割愛させてもらおう。

派遣切りの告知weekが終わった頃、本当にY田は出発してしまった。
夜明け、岡山駅から関西国際空港に向かうバスを見送った。空は深い夜明けのオレンジだった。
そのバスにて手を振りながら、私は蒟蒻のような決心をしていた。
「よし、明日から準備しよう」
どこまで本気なのか、どこまで出来るのかわからないまま、その翌日、私はついに行動に出る。
会社の1階に大手旅行代理店がは入っていたので、なけなしのお金でい一ヶ月後に出発のタイ行きのオープンチケットを買った。
派遣切りした社員たちの悩み相談を受けつつ、出発。その日をとにかく待った。
やるべき業務をご午前中で終わらせ、その後は延々とただひたすらに、
タイについての勉強をした。


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