最期のときがおとずれました
前回に気持ちを整理して記事にしたのが
9月8日(金)。
つぎのお見舞いは10日(日)に行けるかなと
考えて眠りにつきました。
9月9日の朝、電話が鳴りました。
母の病院からです。
伝えられた言葉は覚えていないんだけれど
最期のときが来るんだとは理解できました。
どれくらいで到着するか聞かれたましたが
名古屋の自宅からだと和歌山の母の病院まで
うまくいって3時間、
乗り換えのタイミングがよくなければ
4時間くらいでしょうか。
「すぐに向かいますが時間は読めません。
和歌山の親類にすぐに連絡をして
行ってもらいますので。」
と伝えて病院からの電話を切りました。
着替えはじめながら親類に電話を。
「いま病院から電話があって、
うちの母がもうあかんと思う
すぐに行ったげて!
こちらはいまから出るから!」
取るものもとりあえず
まずは地下鉄でJR名古屋駅に。
地下鉄の改札を出てJRへの階段を上がってるとき
電話が鳴りました。
病院からの、
呼吸が止まったという知らせでした。
札の付いていない部屋に
母は眠っていました。
なんにもなかったような顔で、
苦しさからも解放されたような
そんな穏やかな表情でそこにいました。
呼吸が止まってからの
ドクターからの臨終の言葉は、
親類が聞いてくれたそうです。
それから葬儀会社に連絡をしたんだけど、
思っていた内容と違う。
(これは改めて書きます。)
一から葬儀会社を探し直し、
午後3時くらいにはもう移送され
翌日の9月10日に一日葬。
火葬も終え、夜には名古屋に戻りました。
本当にあっという間の二日間。
そこからは、
銀行や市役所や区役所や年金事務所や、
直接出向いたり、
遠隔で手続きできるような相談や手配など
現実的なことがたくさん。
9月17日(日)にまた和歌山に行き、
初七日法要と納骨。
日帰りしてきました。
こういうことを全部、
あたりまえなんだけど、
僕がすべて決めるんだな。
わかっていたけれど知らなかったことが
たくさんありましたね。
ここ最近の、
母に関するいくつかの記事を
読んでいただいたり
共感いただいたり
言葉をいただいたみなさん、
ありがとうございました。
ひとまずのご報告です。