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星風紀行 外伝 ウーラ・シィナと深山艦長Ⅳ


前回



 理髪室の扉を開けると、乗員達が所定の配置につくためにドタバタと行き交っていた。

 艦内の狭い通路に響く鉄床の音と肩がぶつかり合う音がより一層焦燥感しょうそうかんを駆り立てる。

 敵影発見の通信など一切なかった。乗員達はついさっきまで自分同様にくつろぎ、完全に気が緩んでいたのだ。

 通路を駆け回る乗員達と目が合うと、彼らは軽く一度だけ頭を下げ、足早にすれ違っていく。

 彼らの目の奥は揺れ、浮足立っているのがわかる。早々に艦内放送で鼓舞せねば。

 瞬間、船体がわずかに揺れた。

 『玄』の爆撃機が急降下爆撃を試みたのだろう。

 しかし対空砲火を警戒して日和ひよったのか、甲板かんぱんには直撃せず上空で爆発したものだとわかる。

 畑間に真意を問うか、いや、こんなこと・・・・・をするということは奴はもう……。

「2機撃墜!そほへの損傷なし!……爆撃機、玄へ退いていきます!」

 艦内放送を聞いた行き交う乗員達は足を止め「おおっ」と声を上げる。

 どういうことだ、攻撃の手を緩めただと?他の軽空母2隻と輸送艦の動きの報告はない。

 畑間の独断でやったのか?

 しかし、2機を撃墜したのか……。火の玉になって海上に落ちて行った隊員は味方という事実に胸が締め付けられる。

 無抵抗ではやられるだけ。今よりも被害は出ていたのだ。

 何かと理由を付けなければやるせない。これは戦争なのだから……。


 艦橋の通信室に辿り着くまでの体感時間は実に長く感じた。

 焦燥感、罪悪感、使命感、様々な感情がごちゃごちゃと頭の中を巡り、足取りを重くさせていた。

 らしくないと通信室の扉の前で一呼吸置き、ノックする。

「駆逐艦長深山だ!」「お入りください!」

 間髪入れずに扉の内側から声がかかった。この異常事態に対処すべく今か今かと俺を待ちわびていたのだろう。

 扉が開かれると、そこには多種多様な機器をいじる乗員達と首から下げた望遠鏡を覗き込む航海長の黒田さん・・の姿があった。

 背中を向けているため、その表情は見えない。

 扉を開いたのはガタイの良い副航海長の矢野で、低い声で「お待ちしておりました」と一言だけ告げた。

「黒田さん、速やかに玄へ通信を取りたい」
「……いつも君の方が立場は上だと言っているだろう?それでは部下たちに示しがつかんわ」
「年長者は丁重に扱います。そう育てられてきましたので」
こんな・・・時だというのに君というやつは全く……」

 俺は黒田さんの隣について話しかけた。

 溜め息を吐く彼は俺が見下ろすほどに身長が低く、毛筆を押し当ててできたかのような真っ黒な鼻髭が特徴の老人だ。

 望遠鏡で見る視線の先には撃墜した爆撃機が海上でモウモウと黒い煙をあげながらゆっくりと沈んで行っていた。

「君よりも長く海戦は経験しているつもりだが、味方から攻撃されるのは初めてだわい」
「心は……痛まないのですか?」

 葛藤し続ける俺とは対照的に飄々ひょうひょうと語る彼が不思議に思えて率直な疑問をぶつけた。

「君は立場もあるのだろうが、すっかり麻痺してしまったのかねぇ。『こんなこともある』で済ませちまう自分がいる。戦場で長く生きすぎたのかもしれん」
「その割には随分と俯瞰ふかんした視点の意見にも聞こえますが?」
「年の功というやつだ。血を通わせておきながら、深くは考えないように麻痺させることに慣れてしまった。お前はまだ人間だ・・・・・。その感情を忘れてはいかん。……で、通信だったな、つなげ」

 これが機械になるということなのだろうか?俺には目の前の老人が感情のある人間と無機質な機械を行き来しているように見えて仕方がなかった。

 戦功の果てがこれだとしたらと思うと俺は戦慄した。

「玄につながりました!」
「よし」

 俺は噛みつく勢いで受話器を取った。

「こちら防空駆逐艦『赭』、艦長の深山だ!航空母艦『玄』、艦長の畑間に本艦を攻撃した意図を問いたい!貴艦航海長はこの要請になんとしても応じさせよ!」

 語気に怒りが混じっていたからか、周囲の乗員達は俺と目が合わないように俯いた。

 玄の通信員たちも同じ反応をしているのだろうか、そう思った矢先、あまりにも早い折り返しが来た。

「深山、私は逃げも隠れもしないさ。こちら航空母艦『玄』艦長、そしてこの艦隊の旗艦の畑間だ」
「畑間ぁ……!」

 わざとらしく旗艦であることを誇示する、受話器の先にいるであろうこの男、畑間 こうは最年少で航空母艦長にまで上り詰めた秀才だ。

 若くしてその能力を周囲にもてはやされたせいか高慢なところがあり、気質の合わない者からはとことん煙たがられている。

 いつか同じ艦隊で仕事をすることになるかもしれないといくらか言葉を交わしたが、功績の話しか興味がない様子であった。

 それでも数々の勲章を持つ俺には敬意を払っていたから閣下の挿げ替え疑惑の胸中を打ち明けたのだが……。

「何故当艦艇を攻撃した!?対空砲火で艦載機2機と操縦士2人を失ったんだぞ!」

 受話器から「ふぅ」という声が聞こえた。

「そうわめくな。君のことだから0か100の選択をしてくると思ったのだが、50を選んでくるなんて思わなかった。玉砕か撃沈か、今回の君はどちらでもなかった。結果、中途半端に2機と2人消えてしまったんだ」
「質問に答えろ!」

 熱くなっている俺とは逆で畑間の対応は氷のように冷ややかだった。

「回りくどいことを言ってすまなかった。君は攻撃される理由に心当たりがあるはずだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。それを思えば無抵抗か全力で反抗してくるものだとばかり考えていた。反逆者には死を・・・・・・・、それだけだ」

 畑間との接点で攻撃される理由といえば、明確だった。

 しかし、しかしだ―

あの日・・・お前は俺の目を見て『信じる』と言った!国の行く末を憂いたから胸の内を明かしたのだぞ!それでもお前は戦争を続けることを肯定するというのか!?」
「―だが、閣下が挿げ替えられているなど明確な根拠がない。君の勘だけの根拠をどうして信じられようものか。あの場を収めるために一度は君のことを信じたが、事の尻尾すら掴めない。ならば今は『次なる戦果を挙げよ』という閣下のお言葉を信じる他あるまい?」

 勘―確かに勘ではあったが、近辺の同僚達も今の閣下の方針に猜疑心を抱いていたからこそ輪は広がったのだ。

 一度しか閣下と謁見していない畑間の心には俺達の行動は響かなかったというのか……?

「でも先ほどの君の行動を見て考えが変わったよ。本当は君もろとも赭を撃沈して反逆者たちへの見せしめにしようかと思ったが、私もそこまで鬼ではない。この通信を艦内放送に切り替えたまえ」

 通信を聞いている乗員と目を合わせ、頷く。

「防空駆逐艦『赭』の乗員諸君、私は先ほど諸君の艦艇への攻撃命令を下した航空母艦『玄』の艦長、畑間昂だ。信じがたいかもしれないが、『赭』の駆逐艦長、深山勇は国家反逆の疑いをかけられている。実は輸送作戦と偽った本作戦だが、先ほど諸君が撃墜した2機2名をいたみ、『赭』と深山勇のみを残し、反逆とは無関係な乗員を回収することにした。救助艇に乗り込み退避せよ。なお、深山勇を乗せた船を確認した場合は即刻機銃掃射する。刻限は1時間、以上」

 口答えすることもできず、ブツンと無慈悲に通信を切られた。

 通信員は泣きそうな顔と声で「艦長ぉ……」とうめく。

 通信室の乗員達は声にならない叫びを抑えている。

「こりゃああの若造に一杯やられたか?」

 一連のやり取りを聞いても黒田さんは相変わらず飄々としている。

「黒田さん、冷静ですね」
「まぁな。少なくともわしの方がお前さんのことは知っとるよ。君は国を想う、立派な男じゃないか。艦長になったやつら、いや、権力を手にしちまった人間は狂っちまうのさ。人間で遊びだす・・・・・・・。思い上がりも甚だしいね~。元々のあいつらも同じところから生まれたのにねぇ。どうしてだか、別の何か・・・・が入ってしまったかのように狂いだす。人間の皮を被った何かになってしまうんだ」

 年長者によるその言葉はとても重かった。
 黒田さんはそれを見知ったから上を目指さなかったのだろうか。
 
 ここまで沈黙を保っていた副航海長の矢野が「艦長」と口を開く。

「この船の乗員は口々にあなたの隊で良かったと言う。それはきっとあなたが血の通った人間だからでしょう。他所の船では黒田航海長のように砕けたやり取りなどできません。ほら、もうすぐ彼らはここへやってきますよ」

 矢野が見下ろした視線の先には、乗員達が甲板を駆けてくるのが見えた。

 伝声管から騒々しい声が聞こえてくる。

「艦長!俺はきっと何かあったんだって信じてます!」
あんなやつ・・・・・より深山艦長の方がずっとすごいんだ!」
「俺も最後まで残ります!深山艦長がいないなら生きてる意味もない!」

 艦長、艦長、深山艦長と……こんなにも慕われていたのだと思うと自然と涙が出てきた。

 戦うことでしか乾きを癒すことを知らなかった自分は、戦地で戦友という名の花を見つけた。

 結果彼らを守ることができたのなら、俺はそれで良かったのだ。

 やってきたことの全てが正しかったわけではない。しかし、これが報いなら悔いはなかった。

「館内放送で総員に本艦からの脱出を命令する」
「……お前さんは最後まで生かそうとするのだな」
「船員を生かして本土へ帰すことが艦長の使命だ」
「ふっ、上出来だ」

 黒田さんは反転し、ドアノブに手をかける。

「……先に行ってな・・・・・・。さあ、お前たちも行くぞ」

 黒田さんは通信室にいる全員を引き連れて出て行き、後には俺だけが残った。

 ガランとした通信室で機械音だけが鳴り響いている。

 俺はふーっと一呼吸置いて艦内放送を始めた。

「諸君、防空駆逐艦『赭』の艦長、深山だ。国家への反逆の疑いをかけられたことをつい先ほど知らされたばかりで、俺自身も驚いている。俺の勘違いなら確かに反逆だ。しかし勘が当たっていた場合は今この国は国家存亡の危機に瀕しているかもしれない。俺と共に沈みゆく『赭』に残ってくれる心意気は嬉しいが、若い隊員も多い。君たちはまだ命を散らしてはならない。意思を継ぎ、どうか真実を暴いてくれ。それが俺の願いだ」

 眼下には通信室を見上げ、顔をしわくちゃにして何かを叫んでいる若い乗員がたくさん見えた。

 来栖も聞いているだろうか。

 咄嗟に優仁ゆうじなんて名前をあげたが、彼もどうか生き延びてほしい。

 眼下で黒田さんをはじめとする各隊長が固まりを押しやるように艦首の方へ乗員を移動させ始めていた。

 さて、俺はどのようにして死ぬのだろうか。
 爆撃に巻き込まれるか、機関室に航空魚雷を受けてゆっくりと沈められて溺死するのか。
 機関銃の斉射、海上で浮いているところを狙撃、考えれば切りがない。

 今思えばこうも死と隣り合わせだったのだな、と気付かされる。

 水平線は夕焼けに染まっている。
 そういえば『赭』は赤色の一種だったな。
 初めは耳慣れない単語だったが、艦長になってみると自然と愛着も湧くものだ。

 死の宣告を受けているというのに恐怖を感じない。
 これは死ぬのは自分だけだとわかっているから安心しているだけだろうか?

 ドサッと椅子に腰かけて沈む夕日を眺めた。
 うたた寝でもすれば苦しまずに死ぬだろうか?
 それはいいな……俺が目を閉じようとしたその時だった。

 突然ビーッビーッとやかましく通信機が鳴り始めた。

「何だ?」

 通信機の機関室のランプが点滅していた。機関室からの通信だ。

「まさか誰か残っているのか!?」

 命令違反だぞ!
 一体どんな大バカ者が残っているのか、俺は通信ボタンを押した。

「おい、俺の演説を聞いてなお残ってる奴は誰だ!?共に死んで俺の心を踏みにじる気か!」
「つ、つながった!艦長!どこにもいないと思ったらまだ通信室にいたんですね!」
「お前、来栖か!」

 驚きすぎて君付けを忘れてしまった。



次回




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 なんだか外伝が予定より長くなってます(;´∀`)

 あと3話で終わる予定です。

 お時間を割いて最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました!


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