【小説】星風紀行 第一章 一節 太陽を掴む平原Ⅴ


「静かに……なった……?」

 マチルダに追走されていた男が、白壁に背中をもたれかかりながら呟いた。

 人心地がついた様子で「はあっ」と大きく息を吐いてその場にへたりと座り込む。

「都の子は皆ああなのか、それともあの子が特別なのか―いや、」

 きっと走って追いつける自信があるから追いかけてきたのだろうと推察した。

 わずかな猶予を得て、都までの長旅の疲労から来る欠伸が出る。

 男は身体の肉付きが少なく中背で、黄ばんで萎びた衣服を身に纏い、その顔には深い豊麗線が刻まれていた。

 額から流れる汗をぬぐおうとするも、腕も汗だくで気休め程度にしかならないと悟り、まるで水底にいるかのようにむっくりと身体を起こした。



 どこもかしこも似たような景色が続いていて、しかも上に行ったかと思えば下るような坂道がいくつもあって、なるほどこれは小さい頃から鍛えられているわけだと感じ取っていた。

 都の住民は昼寝が習慣だということは既知で、そしてたまたま門番がいないことがわかって入ってみたものの子どもに見つかり追いかけられる。

 この一件で都に入れなくなって物資の取引ができなくなったら?

 はたまた最悪、集落の皆まで巻き込んでしまったら?

 都住まいはどんなものかという好奇心が高くつくかもしれない。

 悪いことが次々と頭をよぎり、男の表情は天地を沸かす熱気に反して青くなっていった。

 すでにマチルダに顔も割れているため、上手く逃げ切ったとしてもマチルダが報告してしまえばいずれは捕まってしまう。

 できることなら自然な形で弁明できないかと歩きながら思考を巡らせていた。



 居住区を抜けるには壁のない北の端まで行き、そこから西に進むと海岸へ降りる階段が続いている。

 直接西へ行ったとしても断崖絶壁で落下したら一巻の終わりであるため、都心へと続く海岸に至ることはできない。

 土地勘がない者でも居住区の上方から一望できる景色でそれがわかったため、とりあえず男は北を目指していた。

 不気味なまでに住民の寝つきが良すぎるのか、静まり返った中をぺたぺたと聞き慣れた足音が静寂を破り、近づいてくるのがわかった。

 男はマチルダが近づいてきているのを察知して再び走り出す。



 右に左に今度は坂道を上り、次は緩やかに曲がった道を右へ。相変わらずいくつもの似たような景色が男の視界を通り過ぎていく。

 遠くから聴こえてくる足音は鳴り止まない。

 その異様なまでな執拗さに、なるほど、ここの住民は子どもにまで掟を教えているのかと走りながら思う。

 しかし今後のことに怯えながら感心したのも束の間、左へと走り抜けようと曲がったらべしゃりと耳慣れない音が足元から聴こえた。

 一体何かと足跡を見てみると白壁の塗料である。

 靴の裏が緩やかに滑り、途端に走りづらくなる。

 歩くだけでも足跡が残るため、撒くことが困難になってしまった。

 男を焦燥感が襲うも、逃げ続けるしかないと走ることを継続した。



 走り続けていると、やたらと家と家の間の影ができる場所に花壇が行く手を阻むようになっていた。

 影の中を進むことを諦めようとするが、人目につきやすい場所を進むのを恐れてひた走り続ける。

 花壇に誘導されるようにとうとう都の東の端である壁の傍まで来てしまったところで、遥か後方にマチルダが追ってきている姿が見えた。

 前を向いて走り出し、北からは遠ざかるが門の方へ、曲がり角を右へ走り抜けた瞬間、男の視線は突然巨大な壁から白い雲が浮かぶ青い空へと移っていた。

 走り続けた疲労と、腰のあたりにジンジンと来る鈍痛で男は仰向けになったまま動けなくなっていた。

「あ、あぁ……」

 痛みと疲労と、そして諦めの混じったうめき声が出る。

 さらに、鼻を突くような渋い匂いが遅れてやってきた。

 玉ねぎの匂いである。

「無駄にしてごめんなさい……」

 男の傍にアーチェスは立って、無惨に割れた玉ねぎを心底申し訳なさそうな表情で見つめていた。

 マチルダも息切れし疲れ果てた様子で、歩いてアーチェスの隣にやってきた。

「でもやっぱりおじさん、悪い人じゃないよ」

 男は自分を見下ろす二人を視界に収めると、長旅と猛暑の中の遁走による疲労困憊で意識は微睡の中に落ちて行った。


次回



 —  —  —  —  —

 貴重な時間を割いて本編を最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 実はこのお話からカクヨムさんにはもう掲載されていないお話になりまして、人目に触れるのは初めてです。

 カクヨムさんではPV数が2話以降0でして、誰にも見られないならと恥ずかしながら一度は創作を続けるモチベーションがなくなってしまいました(;´∀`)

 しかし今はここまででたくさんの方の目に触れられ、活動を継続する元氣を頂いております。

 拙い文章が続くと思いますが、このお話まで読んでくださった皆様に心から感謝を申し上げます。

 『星風紀行』の物語を気に入ってもらえたら嬉しいです。

 今後も「スキ」や「コメント」を頂けると活動の励みになりますので、引き続きよろしくお願いいたしますm(__)m




いいなと思ったら応援しよう!