【小説】星風紀行 第一章 一節 太陽を掴む平原Ⅲ
朝告げを終えたアーチェスとマチルダは螺旋階段を降り、鐘楼守りの翁に軽く挨拶してからその場を後にした。
鐘楼から少し離れたところへ、高所から見たらほとんどが黒い髪をしている中でひと際目立つ赤い髪をした男が2人へ歩み寄って、朗らかな声色で気さくに声をかけてきた。
「よお、アーチェにマッチ。早朝からいつもご苦労さん!」
「あ、ウリムトさん!おはようございます!」
「おはようございます。ウリムトさんこそ今日は朝の見回りですか?」
「おう。もうお天道さんが登りかけているのに鐘楼から爺さん以外の気配を感じないなんてジルの奴が言い出すもんでな。遅れたらってことであいつと朝と夜の番を交代してもらってたんだ」
不要な心配みたいだったがな、とウリムトは白い歯を見せながら笑う。
「もしかしてこの前うちに来た時にマーサが何か言ってたとか!?」
今回は寝坊するかもしれないということをサマンサから聞かされていたのかと思ったマチルダはウリムトに問いを投げかける。
「いや?今週何が倉庫に送られてきたのかの報告が主だったことと、まだ小さいから何かあったら手伝ってやってくれって言われただけだが?」
「そう…ならなんでもない!」
「えっと、そのことなのですが……」
二人のやり取りを静観していたアーチェスが言うべきかためらいながらも口を開く。
「実は今日寝坊しそうになったんです」
「なんで言うのー!?」
「ご、ごめん。次も今日みたいになったらいけないかもと思って……」
それを聞いたウリムトは得心してどっと笑う。
「まあまあ、あんなに離れたところから早起きしてここまで遣るマーサもどうかと思うことはあるからよ。その時に何かあったら大人を頼ればいいさ」
そう言うと2人の頭をすっぽりと覆うほどの大きな掌で深めに頭を撫でた。
撫でられてニコニコと笑うマチルダと前髪が入らないように固く目をつむっているアーチェスの頭から手を離すと、これからどうする?とウリムトは2人に尋ねる。
ジャガイモと玉ねぎを持って帰るように言われていることをウリムトに告げると、都の中央を縫うように流れる運河に沿って目的地へと3人は向かうことになった。
都の遥か北方に位置するアルリナ山から大地へと注がれる川の水が運河に流れており、長い距離を経てここに辿り着いた山の水が奏でる心地よい音色に合わせて、鼻歌まじりにマチルダは2人の前でスキップして先行している。
この国の取引は基本的に物々交換である。
一応通貨といった概念も存在するものの、一般的に「都」と呼称される3か所のみでしか使用することができない。
外からやって来る者の多くは都の住民が作った作物や生活必需品や工芸品といった物を求めてやって来る。
都の南側を示す鳥の像を通り過ぎた場所に都の住民の必需品が納めてある倉庫群が立ち並び、納められている物を運河で都中央まで渡し、そこで各地からやってきた物が行き交う。
そんな倉庫群の端の方に一軒だけ年季の入った非常に大きな倉庫が存在する。
それはサマンサ専用の倉庫であり、彼女へのお礼という名目で世界各地から産品が送られてくるため、家に持ち帰ることが手間だという理由で彼女が建てさせた物件である。
彼女がどのような偉業を成してこのような扱いを受けているのか?それを語るのはまた別のお話。
やがて3人は目的の場所に辿り着き、皮をなめした鎧を帯びた、見るからに屈強そうな倉庫番とその付き人2人に挨拶を交わす。
ウリムトは自身よりも頭1つ身長の高い番兵に「よぉ」と声をかける。
「遠目からでもよくわかる。ウリムト殿。そしてマーサの子どもたち」
3人に視線を合わせることはなく、ぶっきらぼうに番兵は重厚そうな口を開く。
「マーサに言ったら『あたしゃ腹を痛めてガキ産んだことなんてねぇ』って言われるかもよー?」
「君がそんな取るに足らないことを彼女に報告するほど思慮の浅い子だとは思っていない」
番兵は身長の遥か上からわざとらしくからかったマチルダに言い聞かせる。
「深い意味などない、ただの呼び方の話だ」
じろりと目線だけをマチルダに向け、背筋を伸ばしたまま鼻を鳴らす姿に「いつも通りだ」という意味を含んだ笑みをマチルダは浮かべる。
「何か取りに来たのだろう?直に暑さも迫る。早く用を済ませなくていいのか?」
番兵は行動を促すように会話を取り持つと、ウリムトはジャガイモと玉ねぎを取りに来たという旨を伝え、倉庫の中へ3人を通した。
倉庫の中は薄暗く、通気のために開いている窓から差し込む日光だけしか光源がない。
食物は傷みやすいという配慮から倉庫の入り口近くに配置されており、倉庫の奥の方には実用的な農耕具からどこかの土地からか運ばれてきたであろう煌めく岩など様々なものが埃も被らず木箱の中で眠っている。
マチルダはジャガイモが入っている籠を前にかがんで、大きくて形が良さそうなものを選別している一方で、アーチェスは竿に吊るしてある玉ねぎに手が届かないと難儀していた。
それに気付いたウリムトが玉ねぎをひょいと取ってあげると、アーチェスははっとした表情になり、お礼を言った。
ポンポンとウリムトがアーチェスの頭を撫でたところで3人は倉庫を出て照り付ける日差しの中、再び水路に沿って広場中央へ向かう。
すっかり日も高くなった広場には都の外からの来訪者で溢れかえっていた。
ほとんどの人が黒髪である中、三人は遠目でもわかるほど目立っていたが、誰も気に留めようとはしない。
「門の警備と言いますか、仕事はしなくていいんですか?」
不意にアーチェスがウリムトに尋ねる。
「西方都市兵長どのが直々に検問に立っていて悪事を働く人間なんかいないさ」
「俺がいたって邪魔なだけさ」とウリムトはけらけらと笑う。
「怠けてるとマーサにまた何か言われるよ?」
「それはお前たちの付き添いやってたからで通すからなんとかなるって」
「それ楽しようとしてない?」
マチルダが懐疑の眼差しをウリムトに向ける。
「ははっ、凝り固まるよりも楽にすることも時には大事さ」
「でもウリムトさんがいてくれたからこうして玉ねぎも下ろせたし、僕は助かったよ」
アーチェスははにかみながらそう言うとマチルダはそれもそうだね、と納得する。
よし、とウリムトが一呼吸入れて
「そんじゃあ昼も近くなってきたし、俺は門に戻ると―」しますかね、と言い終える前に思い出したように言葉を紡ぐ。
「そういやお前ら何も食べてないだろう?駐屯地にあるものでよければ何か食べてくか?」
「いいの!?アーチェスはどうする?」
「そうですね、だったらお言葉に甘えさせていただきます」
2人の返答を聞くと「おう、都の物は皆の物だ!」ウリムトはニシシと少年じみた笑顔をして、3人で再び歩き始めた。
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