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【長編小説】星風紀行 第一章 二節 邂逅Ⅶ


 マチルダは天敵から逃れる動物のように一心不乱に森の中を駆けた。
 
 心の備えもなく駆け出したためか、体力のある彼女でも走り出してからわずかな距離で息が上がってしまった。
 
 息を整えるために手近な倒木に腰掛ける。
 
 身体が空洞になったかのように、ひゅうひゅうと呼吸をしても通り抜けるばかりで体内の水分と熱を奪われる感覚に襲われた。
 
「これじゃあまたさっきみたいに―」
 
 何も見えなくなる、そう思った矢先、脳裏に自分が目にした二頭の鹿の死骸が交互に思い浮かびそうになる。
 
「ダメ!」
 
 咄嗟とっさに両手で目を覆い気休め程度の抵抗をする。
 
 覆った両手の下で固く目をつむり、自分の呼吸に集中した。
 
 心臓が拍動するたびにまぶたの裏で白と薄い桃色の光が明滅を繰り返す。
 
「血……ダ、ダメ……!」
 
 自分にも血が流れていることを考えると鹿の流血を連想してしまい、目を開いて覆った両手を顔から放すが、
 
「そんな……」
 
 マチルダに見える森が真っ白なキャンバスに黒い線でスケッチしたような世界になっていた。
 
 周囲の大木の彫りや落ち葉の葉脈の影がより濃く、陽光はより白く輝いて見えた。
 
 大狩猟の時と同様に血の気が引き、悪寒で奥歯がガチガチと鳴り始める。
 
 完全に視界が失われ、何も言葉を発せなくなる前に身体の震えを抑え力強く立ち上がり、
 
「アーチェ!!」
 
 たった一人家族の名を叫ぶ。
 
 その声は広大な森にむなしく反響するだけで自分を呼ぶ声も返ってこなかった。
 
 心臓がドクンドクンと動くたびに目を開いているにも関わらず、視界が白と桃色の明滅を繰り返し、その度に世界から黒という黒が消えて行った。
 
「このまま一人死んじゃうの……?」
 
 大狩猟で草原に倒れた野生動物、そしてツェペーニュでお世話になった人たちの顔や出来事が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
 
「死……」
 
 見える世界が真っ白に染まるその時、マチルダが立っている場所から遥か西方に真っ白な画用紙から人型に切り取ったような影が映ったように見えた。
 
「待って!」
 
 わずかに見えた一縷いちるの希望に悪寒も忘れてマチルダは走り出した。
 
 走り始めると真っ白になっていた視界に木の黒い輪郭だけが帰ってくる。
 
 遠くでゆっくりと歩いている影に何度も「待って!」と呼びかけていると、木の上から「ケヒヒヒヒ」という聞いたこともない声が聴こえた。
 
 マチルダが見上げるとそこには胴体が猿、頭が極彩色ごくさいしきの巨大なくちばしを持つ鳥、カメレオンのように目が左右で別のものを見ている奇怪な生き物が枝の上に座していた。
 
 その生き物は眼球の中心にあるゴマ粒のように小さな点を動かし、じっとマチルダを見つめ、嘴に毛むくじゃらの手を当てて鳴く姿は笑っているようにも見えた。
 
「何あれ……それに色がある……?」
 
 マチルダの知る動物は限られており、常識外れの奇怪な姿に驚きこそしなかったが、真っ白な世界の中でその生き物だけ色が存在していることに驚いていた。
 
 驚いているのも束の間、後方からまた聞いたことがない声がした。
 
 「アー、アー」と鳴きながら森の上空を鳥が飛んで行く。
 
 しかしまたしても奇妙な風貌をしており、身体は白鳥でありながら頭は人間の女性だった。
 
「女の人……?」
 
 頭上を覆う枝葉でその全貌は見えなかったが、頭部の長い黒髪は明らかに人間のように見えた。
 
「夢でも見てるのかな……?あっ!」
 
 遠くで先ほどの人影を見かけ、奇怪な生き物を歯牙にかけず脇目も振らず駆けだす。
 
「待ってよ!なんで待ってくれないの!?」
 
 ゆっくりと歩く白いヒトガタは振り返りもせず、森の奥へと歩いて、茂みの中に姿を消してしまった。
 
 その影を追いかけていると、マチルダの視界に左右に伸びる石畳の道が目に入る。
 
「ツェペーニュに帰って来た!?」
 
 人工物に遭遇し、希望を抱き興奮するマチルダの目の前では低木が行く手を阻んでいた。
 
 マチルダは背負っている木籠を石畳の道に放り投げると、助走をつけて低木を飛び越え、横転して受け身をとった。
 
 身体を起こすと、いつの間にか自分の視界が白い世界ではなくなっていることに気付くが、
 
「……ここだけ夏?でも暑くない」
 
 石畳の左右の木々は秋には似つかわしくない、新緑の色に染まっていた。
 
 つい先ほどまで茶色の落ち葉や暖色の天井に囲まれていたため、その違いは明らかだった。
 
 石畳の道の上には一切遮るものがなく、昼下がりの空の様子もはっきりと見えていた。
 
 視線の先には目を覆うほど近くに黒々とした岩肌のアルリナ山、そして自分から少し離れた石畳の道の上には白い巨石と石造りの祭壇があった。
 
「こんなに遠くに来てたの?じゃあ……」
 
 マチルダがアルリナ山とは真反対の方向を見ると、鬱蒼うっそうとした森が広がっていた。
 
 石畳は途中で森に浸食されて押しのけるように石の隙間から青草が生えていた。
 
 途切れている石畳を恨めしく見つめたが、どうにか真反対に歩けば良いとわかったマチルダは緊張の糸が途切れ、木籠に背中を預けるように座り込んだ。
 
 息をつき放心して巨石の方を眺めていると、茂みの中に姿を消した白いヒトガタが影を引きずるように次々と石畳を横断し始めた。
 
 非常に緩慢かんまんな動きながらその数は多く、マチルダは道端に移動することもできずあっという間に取り囲まれてしまった。
 
 ヒトガタは人間の大人くらいの身長で、全員が目深にフードを被り、視線を下げ、手を組んで祭壇に祈りを捧げているように見えた。
 
 マチルダは困惑し、「あの……」とフードの中を覗き見るが、視線が合うことはなかった。
 
 祭壇に立つ司祭らしきヒトガタが両手を広げ天に掲げると、辺りは白い光に包まれ、マチルダもその中に飲み込まれる。
 
 マチルダが固く閉じた目を開くと、石畳の道を埋め尽くしていたヒトガタはいなくなり、代わりに白い巨石の上に一匹の巨大な生物うずくまっていた。
 
 白を基調とした毛並みに青い稲光いなびかりと風雲が走っているかのようなしま模様を全身に帯びている。
 
 口は大きく左右に割けており、四つ足のうち両前足は鋼鉄の爪で武装されていた。
 
 知る動物の少ないマチルダでもツェペーニュの建造物に匹敵するその巨体を見るや否や身の危険を感じ、木籠を素早く背負ってアルリナ山とは反対方向へと走り出す。
 

「待ちなよ」


 
 男性らしき声に呼び止められ、マチルダは立ち止まってキョロキョロと周囲を見渡すが、誰も見当たらなかった。
 
 気のせいだと思い、また駆けだすと、

「だから待ちなって」


 
 後ろから声がするとわかって祭壇の方へ向き直ると、白い巨石の上でうずくまっていたその生物は天を仰ぎ見ていた。次の瞬間、
 

 グオオォォォォォォッッ!!


 
 空に向かって吠えたけると、森の鳥達が一斉に飛び立っていった。
 
 咆哮と共に吹き荒れる烈風にマチルダは目を見開いて腰を抜かした。
 
 次の瞬間、巨大な生物がたたずむ白い巨石に変化が現れる。
 
 巨石の色が星散りばめた模様の黒に変色し、粘土のような柔らかい質感・・・・・・・・・・・・になった。
 
 巨大な生物は元々白い巨石だった星空柄の山・・・・・・・・・・・・・・を滑り降りると、のしのしとマチルダへと歩み寄り、丁寧に四つ脚を折りたたんで目の前に座った。
 

「そう驚くことはないだろう?まぁ掛けなよ」
 

 マチルダは後ろでボゴッという音がして振り返ると、背もたれのついた星を散りばめた模様をした黒い椅子があった。
 
 立て続けに起こっている不思議な現象にマチルダは思わず、
 
「あなたは誰!?さっきの白い人達は!?」
 
 巨大な生物はブフーっと鼻を鳴らし、

 
「……おかしいな、ボクのことがわからないって本当に言ってるのかい?……いや、歴史の表舞台から消えたのは事実だけれども、あれからどれくらいの時が経ったのだろう。そんなに時間は経過していない気がするのだけれど……いやいや、そんなことよりボクが目覚めたってことは……」

 
 質問に答えずブツブツと呟く巨大な生物を他所よそに、マチルダはその外見の特徴から別のことを考えていた。
 
(何かに似てる……いつも見てる気がする……都の西側を示す像の……アーチェはなんて言ってたっけ?)
 
「とら……トラだ!」
 
 地面に座り込んだまま巨大生物を指差す。
 
 ブツブツと独り言を言っていた巨大生物は両目の中のさらに3つある瞳をぐるりと一周させると、

 
「とりあえず椅子に掛けなよ、取って食ったりはしない」

 
 促されるままにマチルダは椅子に腰掛けると、ブヨブヨとした不思議な感触をしており、身体が上下に弾む。
 
「本当にトラさんが喋ってるの?口が動いてない。よく見たら猫みたいだし、尻尾が何本もある。目もたくさんあってちょっと怖いよ?」
 
 異形の虎の大きな口がさらに割け、好奇の声音で笑い声をあげる。

 
「新鮮な反応だねぇ!本当にボクのことは何も伝わっていないんだ、驚いた!この星で千年以上を人間と共に生きた神々の一柱・・・・・でつい最近までいたはずなのにねぇ!そうかそうか、時代の王はそうする道・・・・・を選んだんだね……でも妙だな」

 
 虎はスンスンと鼻を動かし、マチルダの匂いを嗅ぐ。
 

ボクの眷属・・・・・の匂いがする。その髪色からして眷属ではないけれど一緒に住んでいるのかい?まだ血をつないでいるのか。ますますわからないな……わからないといえば、君はどうやってここに来たんだい?波長を合わせるか臨死体験・・・・でもしないと来れないと思うのだけれど?」

 
 不規則に動く6本の尻尾をパタパタと上げたり下げたりして好奇心が静まらない様子である。
 
「はちょう?りんしたいけんって?怖い思いをして目の前が真っ白になったらここに来ちゃった」
 
 「ふむ」と何かに納得したかと思えば、全ての尻尾を下げ、動きが止まった。

 
「……今頃君を心配している人がいるはずだ。早く帰ってあげなよ」

 
 虎の敵意のなさにすっかりくつろいでいたマチルダは採集の途中だということを思い出す。
 
「そうだった、皆のためにバーツマッシュルーム届けないと!トラさんありがとう!」
 
 椅子から跳ねるように降りるとぺこりと頭を下げる。

 
「いいかい?ボクが吠えたら君の後ろの森の道が開く。決して振り向かずに真っ直ぐ行くんだ。海までつながるはずだから、もうここには来るんじゃないぞ・・・・・・・・・・・・・・!」

 
 マチルダは木籠を背負いなおして、
「わかった!そういえば、トラさんってお名前はあるの?」
 
 虎は四つ足をしっかり地に付け立ち上がる。
 

青虎せいこイーシリオン!人はかつてボクをそう呼んだ!」



  イーシリオンの雲を裂く咆哮に連動して森が左右に割れて道ができる。

 マチルダは「ありがとうー!」とお礼を言いながら石畳の上を駆けて行った。

 イーシリオンはマチルダの背中で大きく揺れる若草色の長い髪の毛と木籠を見送りながら、

「ボクが目覚めたってことは他のみんなも遅かれ早かれ……彼女・・たちと違ってボクの力は物質にしか影響を及ぼせない、目覚めていたとしてもわからないな。……アイツ・・・と大差ないじゃないか」

 自嘲するように呟くと目を閉じて石畳の上で再び蹲った。


次回



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 ちょっと身体が不調気味なため、今回は夕方の投稿にならず申し訳ありません。

 今回のお話はノーカットの方が良いと思って、文字数がいつもの二倍近くになっております。

 本編ではついに出ました、青虎イーシリオン。

 この名前を人目に出す日が来るとは、感慨深いものがありますね。

 彼の「神々の一柱」という発言の通り、他の神々も早く登場させたいな、とうずうずしておりますが、出揃うのはかなり後になるかもしれません。

 まぁ何の動物がモチーフになっているかは今回のマッチの発言で予想はできると思います(笑)

 お時間を割いて最後まで読んでいただき、ありがとうございました!




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