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星風紀行 外伝 ウーラ・シィナと深山艦長Ⅵ


前回



—航空母艦『玄』通信室—

 轟音を引き連れて3機の戦闘機は同朋の命を狩るべく飛行甲板を滑走し、空へと発った。

「よ、よろしいのでしょうか?深山駆逐艦長との取り決めを反故ほごすることになりますが……」

 味方を攻撃することにためらいを覚える『玄』の通信員の声は震え、戸惑いを隠せずにいた。

「構わん。あの夕陽を見給え。これ以上暗くなってしまっては目視も叶わない。救助艇に深山が隠れ潜んでいるかもしれないだろう?」
「それは、そうですが……」

 航空母艦『玄』の艦長、畑間 こうは顔色一つ変えず、冷ややかに告げた。

 黒々とした髪を全て後方へ流し、目は猛禽類もうきんるいのように鋭く、細身ながらもかかとを付け両手を後ろに回し真っ直ぐに立ち、一切ぶれないその姿は肉体の鍛錬を欠かしていないことを主張していた。

 時は神無月のヒトナナサンマルを過ぎた頃。
 秋の夕闇の到来は早い。
 
 しかし「それでも救助艇を回収した時に顔をあらためれば無関係な味方を撃つ必要はないのでは?」という疑問が捨てきれず、上官には逆らえない悔しさが「くっ」という言葉で表れた。

 そんな通信員の様子を歯牙にもかけず、畑間は通信員達の後ろを徘徊し始める。

 ゴウン……ゴウン……と等間隔で通信室に鳴り響く機械音はまるで巨大な生物の体内にいるように感じさせた。

 取り決めごとを平気で裏切る畑間の冷徹さも相まって、通信員たちは「次は我が身ではないか?」と肩を緊張させる。

 夕陽のスポットライトを浴びて背後を彷徨ほうこうするその獣・・・は場にいる全員に語りかける。

「諸君、我々はなぜ戦争をしていると思う?」

 今まさに味方の虐殺を決行せんとするからの問いかけとは思えないほど冷静なものだった。

「―それは、価値観の軋轢あつれきから始まったことではないのでしょうか?」

 黙っていては畑間からの内申評価が落ちて自分の命も危うくなると思った通信員の一人が早口で質問に答えた。

「ふむ、模範解答だな。では、その先は考えたことはあるかね?」

 質問に答えた通信員は沈黙で返した。
 予想通りの返事と言わんばかりに畑間は「くくっ」と笑う。

「答えなかった者もきっと同じ答えを用意していたことだろう。しかしな、我ら軍上層部はその答えの先にいるのだよ」

 畑間は両手を後ろで組んだまま通信員たちに言い聞かせるように後ろを徘徊し始める。

「諸君も知っての通り、我が軍は常勝不敗だ。このままいけば世界の半分は統治できることになるだろう。すなわち、今考えるべきは目の前の戦に勝つことよりも戦いの後に何を為すか、ということだろう」

「敵地を奪い取り、我が国の色に染め上げたとしても、所詮戦争によって勝ち得たものだ。反乱の火種は必ずくすぶり続ける」

「それをもみ消し続けていては必ず我々は疲弊する。やがて内部から他所の国と結託する者が現れ、再び戦争になった時、今度こそ我々は敗北してしまうだろう」

 畑間は興奮気味になり、両手を広げる。

「だからこそ徹底的に管理する・・・・・・・・戦争が終わった後も我が軍の息がかかった者を元々敵地だった場所に送り込み、仮初かりそめの自由を与え、偽りの安寧の世を創るのだ!」

「我らが植え付ける価値観を以て奴らが長い年月をかけて築き上げてきた文明をことごとく否定し、懐柔する!奴らに反抗心を芽生えさせることを許さず、我らこそが頂点に君臨すべきだと知らしめる!」

 興奮して瞬き一つせず演説する畑間の思想に対して恐る恐る通信員の一人が私見を述べる。

「な、なら……それでは独裁者と変わりません。本当の自由・・・・・を知る世界のもう半分の者たちは必ず糾弾してくることでしょう」

 畑間はぎょろりと目を動かし、意見を言った通信員の後ろに立つ。

「わかってないなぁ。だからこそ教育・・するのだよ!仮想の敵を想定し、そいつを憎むように叩き込むのだ!」

「外からの情報の一切を遮断し、与える情報は限られたものにする。そして嘘の情報をあたかも本当かのように流し、恐怖の焼き印を心に刻み、国民の意見を先導し続ける!弾圧される恐怖を知った者達の視野は狭くなり、我々の言うことには従順になる!!人の洗脳などそれだけで簡単にできてしまうのだよ!!」

 畑間はひとしきり語り終えると、顔に手を当て、「くっくっくっ」と邪悪に満ちた笑みを浮かべてふらふらと航海長の隣へと歩み寄る。

「そうだろう?航海長?」

 畑間が見上げるほど高身長の老齢な航海長は口を下弦の三日月状に曲げ、彼の呼びかけにニタニタと笑い返した。

これが同じ土の上で育ってきた人間なのか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・……?)

 畑間が放つ狂気に充てられた通信員たちが皆沈痛な面持ちで俯いていると、彼らを陰鬱な空気から救い出すかのように通信が入る。

「……っ!そほからの通信です!恐らく深山駆逐艦長かと!」
「切れ」
「えっ!?」

 畑間はふんっと鼻を鳴らし、冷めた態度を見せた。

「おおよそ話が違うと激昂していることだろう。聞くに堪えん戯言たわごとだ」
「しかし―!」
「はぁ、そもそも私は一方的に案を提示しただけだ・・・・・・・・・・・・・約束・・した覚えはないが?

 再び航海長と共に薄ら笑いを浮かべる姿を見てその冷酷非道さぶりに通信員の背筋に悪寒が走った。

「さぁ、深山。とどめを刺してやろう」


* * * * *

—防空駆逐艦『赭』通信室—

「くそっ!切られた!」

 怒髪天をく勢いで再び通信室へ駆け込んだ有様がこれだ。
 俺は抑えようのない怒りを拳に込め、通信操作盤に何度も振り下ろし叩きつけた。

「ぬぅぅっ、くそっ!くそっ!くそぉっ!!」

 何故俺だけを殺さない?何故彼らは死ななければならなかった?
 真意を答えようともしない畑間は一体何を考えている?

 次々と湧き上がる一つの問いに一つの拳を叩きつけることしかできなかった。
 感情的に熱くなっても答えなど出るわけもなく、今の俺の行動を客観的に見たら人を率いる者として失格だったかもしれない。

「艦長!やめてください!艦長の手が壊れてしまいます!」

 怒り心頭、無我夢中で走り出した俺に追いついた来栖は振り下ろそうとする腕に組みついて制止する。

 息を荒げ暴れていた俺はきっと憤怒の形相をしていたことだろう。

 来栖は「診せてください」と白手袋を剝ぎ取ると、右手の中手骨と基節骨の関節部分が真っ赤になっていた。

「今はアドレナリンが出ていて平気かもしれないですが、後で痛みが出始めるかもしれません。もう少し止めるのが遅かったら炎症になってたかもしれないですよ」

 そう言う来栖の目の下は泣き腫らし赤くなっていた。

 仲間の裏切りを目の当たりにしても平静を装っている彼の強さに触れて俺も冷静さを取り戻していった。

「これから死ぬ者に治療は不要だろう」
「それでも、簡単な処置はさせてください。それが私の役目なので」

 彼は肩から掛けた救急箱の中から包帯と湿布を取り出すと両手を使って丁寧に処置を始めた。
 湿布のひんやりとした感触が手の甲を覆う。
 思えば、艦長になってから怪我をしたことがなかった。
 一兵隊として戦地に立っていた時はいくらでも負傷したものだが、死期を悟るだけで今まで見てきた何気ない動作一つ一つがゆっくりに思えて、「癒される」という感覚をしっかりと噛みしめることができた。
 しばらくして右手を横断する1本の線ができた。

「流石だ。手慣れているな」
「本当ならもっとちゃんとした処置をしたかったのですが、もう時間がない・・・・・ですからね」
「……なぁ来栖、正直に言ってくれ。あれ・・を見て生きて陸まで泳ぎ切れる自信はあるか?」

 通信室からは味方が攻撃された後の現場の惨状は見えないが、きっと赭の乗員達はもう―

「ははは、無理でしょうねぇ。救命衣なんて着ようものなら海上では目立ちすぎてすぐにハチの巣にされてしまうでしょう。救助艇までなら飛び込んですぐだったので自信はあったのですが……。いや、そもそも誰かが海に飛び込んだ時点で艦長の可能性があるわけで、一人も逃がすつもりはないでしょうね」

 諦めの乾いた笑い、そして冷静な分析だった。進退窮まった現状にもう涙も出ないのだろう。 
 それは死を覚悟した俺と同じ。黒田さんたちにも俺はこう見えていたのかもしれない。

 黒田さん―そうだ、俺は乗員を生かして陸に帰すという艦長の責務を果たせなかった。
 来栖が最後まで治療を試みたのはその意思を汲み取ったからなのか?
 真意が何であれ、俺の荒ぶる心を慰撫いぶしてくれたことには変わりがなかった。

「俺は艦長の使命として君だけはなんとしても生かしたい。しかし生憎俺が思いついた策は運頼みだ」

 来栖の丸眼鏡の向こう側の両目が大きく見開く。

「な、こんな絶望的な状況で何か手があるというのですか!?いや、それをやるなら私ではなく艦長が……!」
「生きろというのだろう?俺は囮だ・・・・。その一瞬を見逃すんじゃないぞ。奴らの目を欺くにはが必要だ」

 俺は太陽が沈み切った地平線を見る。
 来栖は俺の視線を追って何かを理解した。

「……しかし暗がりだけでは確実ではないと思いますが……」
「そう、運頼みというのは奴らの攻撃の仕方・・・・・・・・次第ということだ。いいか―」

 来栖に説明し始めた途端、船体が大きく揺れた。
 ついに船への攻撃が始まったらしい。
 だがこれは—

「艦長!」
「おい落ち着け!最初の運頼みに勝ったぞ・・・・・・・・・・・!」
「ええ!?」

 ひっきりなしに船底が振動しているのがわかる。
 航空魚雷で船底に穴を空けて沈没を狙っているのだろう。
 最初から爆撃ではなかった・・・・・・・・

「船内に火が回る前に船の中心あたりに移動するぞ!」

 沈み、傾き始めた船内を二人で壁を伝って移動する。
 船の揺れが弱くなってきたことから、艦上攻撃機の攻め手は終わったのだろう。
 恐らく次が艦上爆撃機、時間がない。

「来栖、一度しか言わないからよく聞け!『赭』は間もなく真っ二つになる・・・・・・・!」

「俺はこれから甲板に立ち、奴らに俺が生きていることを確認させる。俺は再び見晴らしの良い通信室に移動し、そこにいるということを視認させ、爆撃させる!」

「奴らの注目が俺に集まっている間、『赭』が真っ二つに割れるだろうから―」

 ズン……!と再び揺れる。もう全部話している時間はない。

「くっ……!あとはもう分かるな・・・・・・・!?君は死ぬ覚悟でいただろうに、俺の我が儘に最後まで付き合わせてすまなかった!」

 来栖はぶんぶんと頭を横に振る。

「とんでもないです!最後まで私を生かそうとしてくださり、ありがとうございました!艦長の本分を全うしようとする深山艦長の元で働けたことを誇りに思います!」

 今日だけで何度目かわからない、海軍式の敬礼をしながら泣く来栖の顔を見た。
 最期の時くらい、笑ってやろうじゃないか。

「また来世で会おう!」

 握り拳を天に突き上げると来栖が巻いてくれた包帯が緩んだ。

 それが俺が人と交わした最後の会話だった。



 来栖と別れて甲板に向かったが、甲板へ通じる扉が少し熱を帯びていた。

 外さないでいた白手袋をした左手で扉を押し開けると、甲板にはところどころに火の手が回っていた。

 やはりさっきの1回の振動は爆撃機によるものだった。

 俺は夜になりかけている空に向かって自分の所在を示すべく両手を広げた。

「俺はここにいるぞ!外道ども!!」

 最早俺の中で疑惑は確信へと変わっていた。
 平気で騙し討ちをするような男について行く者たちを外道と呼ばずになんと呼ぼうか。
 誰も抗おうとしなかったのか、否、不条理なことに一人でも声を上げれば全員がついていくものだと思っていた。

 俺は上空を飛ぶ数多あまた鉄のハエ・・・・どもを睨みつけながら手を振り続けた。
 すると、高度を下げてくる機体が1機見えたため、どうやら確認させることができたらしい。
 俺はすぐに艦内に戻り、通信室へと走り出す。

 階段を上がっている途中で爆撃を受け、背中を激しく打ち付けられた。
 しかし、事は上手く行ってる・・・・・・・・・と思うと痛みなど感じず、むしろ笑いすら込み上げてきた。

 本日3度目の通信室。
 そして今回は紛れもなく俺一人。

 ただし眼前に広がる景色は雲一つない夜空と火の海だ。
 防空駆逐艦である『赭』に航空攻撃が通ることはまずなかったから、歴代防空駆逐艦長初の光景を目にしている。

 赤の一種である『赭』……それが本当に真っ赤に燃え上がろうとしている。
 対するあいつらは『玄』……黒か。
 今の光景のままじゃないか、笑えて来る。

 刹那、目の前で投下された爆弾が爆発する。
 反射的に顔を両腕で覆った。

「ぐわぁっ」

 爆風で吹き飛ぶ通信室の窓ガラスと共にまたもや壁に叩きつけられた。
 しかし、まだその時は来ていない・・・・・・・・・・・と、腕を杖にしてよろよろと立ち上がる。

 窓ガラスの破片を踏みつけながら通信操作盤の前で再び手を広げる。

「はぁ……!俺はまだ生きているぞ!もっとだ、もっと向かってこい!!」

 俺の叫びに応えるように、甲板に爆弾の雨が降り注ぐ。

「ぬわっ!」

 とうとう通信室が火の海に包まれる。
 呼吸をするたびに熱気を吸い込み、明らかに身体に有害な煙の臭いが充満する。

「窓全開なのにな……」

 もう自分に残された足場はなかった。
 硝煙とガスの匂い、飛び散ったガラスと鉄の破片、バチバチと音を立てる各種通信機。
 しかし今は自分に尽くしてくれた男一人のために、艦長としての責務を果たすためだと思うと、それも心地良いものだと感じていた。

 ゴ、ゴ、ゴ、ゴ、ゴ、と『赭』は悲鳴を上げ始めた。

「はは、お前も共に逝くか」

 熱で変形し、パキパキと音を立て割れ始めた機器もその時・・・が近いことを知らせていた。

「しかしどうか、一人だけ・・・・生かしてくれよ……!」

 とどめの空爆と言わんばかりに艦首上空に爆撃機が群れを成しているのが見える。
 艦尾まで余さず爆撃するのだろう、これが俺の最期か―

 甲板の火の海に照らされて航空機から黒い塊が落下していく。
 それは激しい雨足が遠くからやってくるかのようだった。

 ズンズンと船体が揺れるのを感じながら爆発の波は広がって行く。
 俺の身体はその波に飲まれながらふわりと浮いていた。

 しかし、不思議と熱くはなかった。
 いや、熱かったのだろうが、それすら感じないほどこの後すぐに起こるであろう事・・・・・・・・・・・・・・に、来栖の無事を祈る思いでいっぱいになっていた。

 吹き飛んでうつ伏せになっていた俺の意識は肺を満たす熱気と煙で遠くなっていった。
 耳元でバキバキと『赭』の割れる音が聴こえると、俺の身体は水平を保てなくなった『赭』に壁際から通信操作盤の下まで火を纏いながら転がり落とされた。

 服に点いた火を払う力もない。

 俺は今どんな顔をしているのだろうな。
 畑間や奴に反対を示さなかった『玄』の乗員達への怒りと失望もある。
 それと同時に無事に逃げおおせるかもしれない来栖、そしてたった一人でも生き延びてくれたら艦長冥利に尽きるという解放感もあった。

 俺は、いや、俺たちは生き残るために多くの犠牲の上に立ってきた。
 しかし、奪ってきた命は帰ってこない。

 敵も味方も皆等しく。
 生命に貴賎きせんはないのだ。

 生き残るための戦争、奪うための戦争。
 どれだけ体裁を繕おうともやった結果は変わらない。
 一時的に戦が終わろうとも、やり返す者が現れればまた繰り返しになるだけだ。

 そうだな、次生まれ変わるとしたら、その連鎖が断たれた世界に生きたいものだ。

 人殺しにそれは虫がよすぎるか?

 俺は瞳を閉じ、鉄屑と共に海に堕ちて行った。


次回




 ―  —  —  —  —

 お時間を割いて最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 前回『星風紀行 外伝 ウーラ・シィナと深山艦長Ⅴ』の最後はまさかの騙し討ちという展開でわたしも書いてて心が痛みまして、あとがきは書かなかったんですよね(;´∀`)

 Ⅳの反響が大きく、「実は読者さんは恐怖に飢えていたりするのだろうか?」と思いまして、あのような展開からの今回です。

 なんだか本編『星風紀行』並みのボリュームになってしまいましたが、次回で最後になります。





 


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