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私が推すのは、究極に自分本位で、傷つくことが絶対にないから。

2020年1月3日。推しが脱退を発表した。


Twitterを開いた瞬間に見えた「脱退」の文字。頭が真っ白になり、色んな感情が駆け巡る。意味も分からず一度外へ出た。ロンドンの肌寒い風にあたりながら、泣くことも出来ずただひたすらに歩くことしか出来なかった。

あの時から、界隈関係なく「推し」達への推し方が変わった。それでも推し事自体は辞めていない。


一番の推しがいた頃は彼女が輝く場所へ立ってほしくて、CDや物販を買った。行ける時にライブへ行った。SNSは通知ON。返信は送らないが、いいねは欠かさなかった。
鍵アカだったので認知は全くされていないし、同じ界隈にオタクの友達もいないので推しにも認知はされていない。それでも良かった。

平日休みに地方転勤、気付けば海外で働いていた。推しとの距離が離れてもファンクラブ会員を継続するなど、出来る範囲で推し続けた。でも、彼女はアイドルを辞めた。


話は少し変わるが、私には中学生の頃から応援していた俳優の推しがいた。2019年、彼は急病により永遠に会えない人となってしまった。
他にも応援していた推し達はどんどんいなくなった。自分はこんなに変わらないのに、推し達はどんどん変わっていく。良い方向にも、悪い方向にも。


話を戻すと、本当は推しがもうすぐ卒業するだろうなと気付いていた。私は彼女に自己投影していたから、彼女が卒業すれば社会人として働く自分の心も折れそうだと思い、現実逃避していたのだ。

結局、新型コロナの影響でライブは中止。彼女に会うことは叶わなかった。


「推す度に心を擦り減らす意味が分からない。あまりにも辛すぎる。」
「推しや運営に見返りを求めすぎているのではないだろうか。」
「推しは人間で、超人でもない。普通の女の子なんだ。」


そうやって、無理矢理感情を押し込めて推し方を変える決断をしたのだ。
今、私が「推し」を推すのは自分本位で期待をしなくても良いから。いつ推し活を卒業しても良いし、好きな時に好きな界隈の推しへ貢げる。

そして、自分が頑張らなくても推しは頑張ってくれる。彼ら自身の目標を達成する為に。
自分は努力もせず、推しの目標達成までの道のりを外野で酒を飲みながらのんびり眺めているだけ。
頑張っている姿を見たいだけだから、同担拒否しないしガチ恋だってしない。むしろコアなファンが増えれば増えるほど推しの目標達成に近づくから嬉しい。

推すだけで、一定量の感動と達成感を間接的に享受出来るのだ。こんなにコストパフォーマンスの良い活動はない。


もちろん、推しに対するアプローチは何万通りとあると思う。私の場合は、最初から最後まで自分本位な理由で推しているというだけ。

推しの為に生きることは、もう出来ない。だが、推し達の笑顔はなるべくたくさん見たいなあと思う。
だから、自分は鍵アカの裏アカウントで推しの魅力を語るし、オタクの友達と推しの話を語り合うのだ。

「推しを傷付けない」というルールだけを忘れずに。

ちょっと辛い気持ちになった時や忙しい時、缶ビールとおつまみを買う資金として利用させて頂きます。