「ロイヤルホストで夜まで語りたい」を読んだので「ロイヤル」の思い出を書く

最近読んだエッセイ集、「ロイヤルホストで夜まで語りたい」がとても良かったのです。執筆陣を見て(村瀬秀信さんと上坂あゆ美さんが一冊の本を書いてるって凄い話だよ)、「この執筆陣はただものではない面子だ!」と思い、購入。読んでいくうちに、僕が人生で一番思い入れがあるファミレスってロイヤルホストだったんだな、と改めて気づかされたのです。
そこで、「ロイヤルホストと私」を散文ではありますが、書き連ねる事にしてみました。

今思えば、ジョイフルよりもガストよりもサイゼリヤよりもロイヤルホストへの思い入れが強いのである。
 
福岡で生まれ育った母の意向だったのだと思うのだけれど、家族でちょっと外食をするとしたらロイヤルが定番だった。ロイヤルが持つ高級感だったり、他の飲食店とは違う佇まいに、子供ながら「何だかよく分からないけど凄い所に連れていってもらっている……」と感じたものだった。
母や祖母は教育熱心な所があったので、テーブルマナーの作法を教えたいという気持ちがあったのかもしれない。右利きの僕が初めて左手でフォークを握った場所もロイヤルだった。普段と違う使い心地に慣れず、右手を持たせてくれと言っても「ダメ」と怒られた。あまりにも不条理だと、少年だった僕は本気で嘆いていたのである。
 
高校を卒業するまで過ごした、所謂「地元」の生活範囲内に、ロイヤルが2軒あった。今思えば何という贅沢な環境だったのだろう。
当時のロイヤルには焼肉があった。テーブルと焼き網が一体化していて、普段はテーブルとして使っているが、取り外しできる蓋を取ると、焼き網が出現、そのまま焼肉が出来る仕組みになっていた。
高級感あふれる洋食と焼肉という組み合わせ、ミスマッチな感じは否めないけど、それすらも遊園地のアトラクションのように楽しめるエンタメ性。それぐらいの力がロイヤルにはあったのである。
しかし、焼肉が楽しめる形態も終焉を迎えてしまい、今は昔となってしまった。少年時代の原風景なんて、あっさりと無くなってしまうのだ。
 
大学進学を機に上京をした。兄と一緒に暮らしていたけど、中々生活は厳しく、たまの外食もラーメンや牛丼という生活。いつしか生活からロイヤルが離れていった。
 
東京から福岡へ帰ってきたら、僕は一介の大学生から「息子」に戻る。
息子を送ってくれる親と、空港で食事をするのだけれど、だいたい空港のロイヤルで最後の時間を過ごすのだった。
暮れなずむ博多の街、夕日に照らされてオレンジに染まっていく飛行機や滑走路を見ながら飲むパラダイストロピカルアイスティーは、「息子」として甘えられる時間の終わりを告げる味だった。
10日間の旅の終わりを突き付けてくるアイスティー。何がパラダイスなんだ、そんな感情で飲んでいた。自分の意志で東京の街へ出てきたくせに。
 
大学4年の正月。卒論の提出の関係で帰省せず、初めて正月を東京で過ごすことになった。
その時東京へ遊びに来ていた友人の誘いで、東京案内がてら、いい出会いを求めようという事になって、東京大神宮へ初詣に出かけた。
その後、靖国神社と赤城神社の三社参りを済ませて、ちょっとお茶をしようということになって入ったのが神楽坂のロイヤルだった。
貧乏学生だった当時、神楽坂で食事をするとしても、学生御用達の激安居酒屋や日高屋やマクドナルドに行くしかなかった。ガストにすら行けなった素寒貧学生が、ロイヤルに行くなんて、中々の冒険だったのである。
年明けを迎えたばかりの神楽坂は、静かながらも活気にあふれていて、普段とは違う顔をしていた。そんな気がしている。
初めて東京で行けたロイヤルにはそんな思い出があった。卒論提出まであと一週間。モラトリアムに感傷的になっていた。
 
東京に出てきて、みなが「ロイヤル」と呼ばずに「ロイホ」と呼ぶことを初めて知った。「ある意味方言だったのか……」と驚きつつ、気が付いたら昔からの「ロイヤル」という言い方を捨てて、「ロイホ」と言うようになっていた。染まってしまったのである。
今回このエッセイ集を読んで、改めてロイヤルホストに思い入れがある事に気づいたし、「ロイヤル」と呼ぶことも僕のアイデンティティの一つだと気づけた。そう、博多弁の「からう」や「はわく」や「なおす」と同じような、福岡の人々が使う言葉こそ自分を形成するものだったと、改めて確信してしまった。
今後、TPOを応じて、「ロイホ」と言ってしまう事はあるかもしれないけど、普段の生活では「ロイヤル」と言っていこうと思う。
 
そんなロイヤルについて取り留めのない文章。