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ANGERSWING#9

何が良くて、何が悪いというジャッジを気づけばしてしまうことがある。
翻せば、わたしもそういうジャッジに晒され続けていることにもなる。

そういうジャッジをされることが嫌なくせに自分自身は好き放題やってしまう。とても自分勝手な話だ。

数日前、かなり辛口な星座占いを見た。わたしの星座に関しては「運気が悪いので、できれば家にいましょう」と書かれていた。順位は10位だった。
運気が悪いから家にいろと言われましても、まだまだ仕事は続くし、元も子もないことを言う占いだなあと強く思った。
そもそも運気が悪いから家にいることを勧められる人よりも運気の悪い人たちが2星座もあるってどういうことだよと思う。運気のデフレーションがすごい。

そのときにわたしはとある別の占い師ならこんな言葉を使わないという投稿をSNSにした。

花粉が舞う中、頑張って外で働いているのに家にいろって言われたらやっぱり心に来るものがあるし、家に帰れない人たちへの解決策が何も示されていないことに「じゃあどうしたらええねん」という割と強い気持ちを持ってしまった中での両者の比較だった。

その比較は明らかに良と悪に分かれているし、家に帰れと言った占いを受け入れる気持ちもさらさらなかった。

もしも対象の占い師2人が自分の目の前にいたとして、「あなたの占い、言葉選びが下手ですよ。こちらの人はそんな言葉選びしません。」なんて言い方をしてしまうだろうか。

でも現実的に起こりうることだと思う。
相手の何かを受け入れられない。他者はその事象に対してうまくやるだろうに。ということ。

相手が目の前にいた場合、まずはちゃんと理由を聞くか。
「どうしてそういう結果になったんですか?」
「占いの棒が大凶って出てたので」

その説明に納得できなかった場合、まだ聞くか。
「どうして大凶だと、家にいなきゃいけないんですか?」
「外だと色んな外的要因があって危ないので」
「家にいられない場合はどうすればいいのですか?」
「慎重に生活しながら、自分の身は自分で守ってください」

ああ、なるほど。
もしも相手が目の前にいれば、わたしは対話を選択できるけど、目の前にはいないわけで、対話を選択することができない。
そうなると自分の気持ちを鎮めるために他者との比較を持ち出して、良と悪を明確にしようとしていたのか。

目的は自分の気持ちを鎮めるためだったのだね。その手段がジャッジするということとSNSへの投稿だったというわけか。

やっぱり自分の1人の中で起きたことを処理するとなるとものすごくベクトルが内に向くし、受け入れるという選択を最初から除外してしまいがちなのだなあと。

対話だ対話。ジャッジはしない。ジャッジをしたらそこで終わってしまう。前に進めない。

何かアクションするということは必ず他者に何らかの影響をもたらす。その影響がどんなものになるか。

想像力だね、想像力だヨ。

<日本劇団協議会主催>
日本の演劇人を育てるプロジェクト
新進劇団育成公演

劇団Q+
『ANGERSWING /
アンガーズウイング・アンガースウィング』
ー家族の庭、その香りは秘密をささやくー

脚本=弓月玲 原案・演出=柳本順也

◎日程
2024年7月3日(水)〜 7月7日(日)

◎劇場
下北沢 駅前劇場

⋱チケット発売⋰
2024 年 5月 1日(水)開始

https://www.gekidan-q.com/

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