言葉よりも感覚を大切にしようと気づいたアラサーの春
最近割とスッキリとした日々を過ごしている。というのも、長年の習慣となっていたことが意外にも自分の首を絞めていたような気がして、思い切ってそれらを断ち切ったり、代わりに新しいことを始めたわけで。
発信をやめた
学校に居場所のない思春期を送っていたためか、「ネット=自己表現の場」だった。15年くらい前からブログを書いたり、Twitterでは日本に上陸した頃から呟いていた。ライターとしての活動はもちろんだ。
でも、正直5年ほど前から窮屈な場に感じられるようになってきてしまった。広告に溢れていたり、様々な意見を見るたびに自分が振り回されている気がした。「もう、ネットよりもリアルの世界の方が楽なんじゃねーの?」と思って最近はライター業以外の発信を辞めている。(たまーに除く程度)
今や電車内でもスマホをいじらなくなったのだけども、大半の人たちはスマホに興じている。もちろんスマホをいじっている全員がそうであるとは限らないけど、「ネットの世界が全て」みたいな発想になるのが怖い。ネットの世界の物差しを現実に持ち出してしまったらそりゃ生きづらくなるわな。フェミニズムなど(一部の過激な思想)もその一つだと思う。
あと、本屋に行く回数が減った。これまでは「より良いものを発信すること」を前提に本を選んでたんだなって気づいた。ほぼ毎日本屋に行ってたのだけどもすっかり行かなくなった。昨日2ヶ月ぶりくらいに本屋に行ったら、直感で5冊くらい選んでレジに直行した。そういう時の方が案外自分にぴったりの本が見つかるんだなと。
いかに、これまで私は「言葉」に囚われてたんだろう…と思っている今日この頃。上司や友達からのチャットやLINEや会話で、言葉の裏の意味を考えてしまったり、そういう癖が治まった。かなり人間関係もスムーズに運ぶようになった気がする。
言葉を介さない表現を始めた
かくいう私は思春期にネットに出会う前は言語表現が苦手だった。国語の成績はいつも一番下(今の私からは想像つかないけど)。元々はピアノを習っていたり、絵を描くのが好きだったり、どちらかといえばノンバーバルな表現が得意だった。
昨年バレエを始めて来月は発表会に出るのだけども、今はそのリハーサルで忙しい。先生と一緒に振りを覚えたり、アクロバティックな動きを楽しんでいる。楽しすぎて来月からはレッスン回数をもっと増やしたいと思っている。音楽に合わせて呼吸とともに身体を動かしていると「あ〜すごく解き放たれてるな、私」と思う。体育の成績は悪かったけれども、意外と私は運動神経があった。驚いた。(学校教育って誤った自己評価を植え付けるよなと心底思った)
バレエを通して音楽が好きな自分に気づいて、先週は歌のレッスンを受けてみた。楽曲が鳴り響いた瞬間、子供の頃の感覚に戻ったような気がして思い切り歌った。プロでボーカリストをされている方から教わったのだけども、「声と音感がとても良いですね」と言われた。ずっと声にコンプレックスを持っていたから、(「ボビーオ●ゴンみたいな声」と言われたことが昔あったw)そんなことなかったんだなって我に返った。
本当は言葉で表現するというよりも、言葉でないものを使って表現する方が性に合ってたんだなと思う。もともと考えることが苦手で、言葉を使う仕事をしているとどうしてもあらゆる場面で考えすぎてしまう。言葉を信じすぎてしまう。あたし、言葉信者だったんだな。言葉で自分自身を縛り付けていた。
今もときどき考えすぎてしまうことはあるけれども、以前よりは減った。むしろ自分自身の気持ちや感覚を大切にしている。嬉しい時は「嬉しい」で充分。イライラしてもポジティブに変換せず、「イライラしてる」と思って充分。これからは自然体な自分を楽しんでいけたらな、と思う。