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「自分いじめっ子」をやめた話

 私は自分にとても甘い。それはもう、優しさ全開で接している。
 嫌なことはさせない、無理をさせない、好きなものを好きなだけ与えるなど、甘やかすという言葉から連想されるすべてのことを自分にしている。

 おそらく、もともと自分に甘い人であれば、あえてこのようなことを考えることもないだろう。
 あえてこのようなことを申し上げる私は、そう、後発的にこの能力を手に入れたのだ! ババーン! 自慢。
 それはもう、血の出るような努力の末、自分に甘く接することができるようになった。

 以前の私は、自分にとても厳しく、なんならいじめていた。いじめの加害者であった。ひどい。なんてやつだ。訴えてやる。誰によ。
 例えば、以下のようなことを常識としていたりした。

・普通はこうだからこうしなければならない、たとえそうするのが嫌だったとしても
・普通はこうするのが当たり前だから、できて当然。なぜできないのか不思議(笑)
・何のためにそんなことするの? 何の役にも立たないのに(呆)
・少なくともそれをやればあなたにも、生きるが価値少しはあるかもよ? まあ、基本価値ないけど

 というようなことを、あたりまえに自分に対して思っていた。こうして文字にしてみると、ほんとうに胸が痛い。ひどいやつだ。過去の私。
 こんなの、いじめ以外のなにものでもない。あーこわい。いじめこわい。なんてひどいことをしていたのでしょうか。

 もっと恐ろしいのは、自分に対してそのような対応をすることが、正しいと思っていたこと。そうすることが正義であり善だと、思っていた。
 今振り返れば、そうではないことがわかるが、当時の私は全く自覚がなかった。

 私はなぜ「自分いじめっ子」であったのか、その原因の究明からはじまり、対処法、改善法などの模索に数年を費やし、血と汗と涙と嘔吐を伴う努力の末、自分いじめを止めることに成功した。いや、まだ完全にしなくなったわけではないのかもしれないけれど。

 それでも、自分いじめを止め、「自分甘やかしっこ」になった今、健康、満足度、幸福度が以前に比べ劇的に飛躍、快適な日常を送っている。
 以前は、ことあるごとに自分へのご褒美が必要だったけれども、今はそれが全く必要なくなった。
 生きている全ての時間がご褒美だからだ。

 もし、この記事を読んで、自分甘やかしの方法や、自分いじめエピソードをお持ちでしたら教えほしいと思います。

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