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息子が

息子が友達を二人連れて帰省してきた。
二人は、息子とは大学も学部も違う。
民間の学生寮で知り合ったらし。

学部を聞くと、情報工学科とか。
おお、それはいい。
実は、勉強中のHTML,CSSでつまづいている、教えてくれと言った。

簡単にいうと、画面上、正方形を右に移動し、それから下に移動し、また右に2回移動する。下に移動するとき、この正方形を360度回転させ、それから、右に移動するときに、形を円形に変化させる。次にこの円形を小さくする。言ってみれば、稲妻型に直角に移動し、後半は形を円形にし、サイズを変更する。

途中の過程ごとに、それぞれ違った色にする。
とまあ、こんなアニメーションを作った。

しかし、下に90度下がらせるつもりが、斜め下に一挙に移動してしまう。
コードはあっているはずなのに、どうしても原因がわからず、一日ほど悩んでいた。

二人に見せると、5分ほどで、このコードのスペルが1字間違っていると問題点を見つけて解決した。さすが!

こんな時は、ここまでは、動いているし、その後も動いている。
問題は、ここのコードだろうから、ここで何か問題が起きているはずだ。
というふうに、切り分けていくといいとアドバイしてくれた。

いや、それはわかる、私もやった。
でも、ダメだった。
違いは、論理的思考能力の差だ。
もっと言えば、論理的思考能力の強さ、自分の論理的思考に対する信頼の問題だと思う。

同じ結論に達していても、その結論を信じられるどうか、ここのコードに問題があるはずだ、絶対にあるはずだと思うか、いや、他に原因があるのかもしれないと揺らぐか。
それは、別の見方をすれば、自分の論理的思考過程に対して確信を持っているかどうかでもある。

私は、そこまで、突き詰めて考えなかったので、確信を持てていなかったのだ。だから、コードに問題があると思っても、ちょっとみたところ、間違いがないという段階で思考停止してしまっていた。

もし、絶対ここがおかしいと思えば、まともなコードと並べて、メモ帳にでも貼り付けて比較するとかすれば、すぐ間違いに気づいたはずなのだ。

教訓
考えるなら、曖昧さを残さず、しっかり考えよ。

ところで、この二人。
一人は、中国人だという。
中学三年の終わり頃、突然、日本に行くと親に告げられたそうだ。

日本のことは何も知らないし、日本語なんて一言もわからない状態で、3ヶ月後に日本の高校入試がある。親は、それが何だという感じ。
どうしたと聞いたら、3ヶ月間必死に日本語を勉強して、入試に間に合わせたとか。そうするしかなかったと。

公立高校は、試験科目多くて、間に合わない。
私立高校で、数学、英語、国語だけのところを狙った。
数学と英語は、何とかいけるが、国語が問題だった。
でも、死ぬ気で突破した。

えらいやっちゃ。
親も、それが何だと、思うのもわかる気がする。
中国には、とんでもないと思うのが、普通にいるから、すごい。
前に、7歳以降の記憶が全部ビデオ映像のようにあるという、中国人にあったことがある。学者でも専門家でもない、普通の社会人(普通でもなかったか)だった。

もう一人は、釣りが好きだという。
夕食後、港の堤防に連れて行ってあげた。
この子、お客さんにならない。
案内する私に、ぴったりついて来て、さりげない気遣いをする。
心に、そっと、ふわりと触れてくる感じ。

絶対いい社会人になるわ。
ヨメ・ハン皇帝も私も、息子が二人増えたような感じで、楽しい。


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yasu
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