【27歳・ラグビーを引退した今思うこと】
ラグビートップリーグ所属のリコーブラックラムズを退団して、3ヶ月が経ちました。
この3ヶ月は、自分と向き合い、今後の人生について考える時間が多かったように思います。
今一度、自分のラグビー人生を振り返り、何が自分のルーツで、誰のお陰で好きなラグビーをやってこれたのか、そしてこれから何をしていくことができるのかを、見つめ直していきたいと思います。
自伝を書ける程の大物プレーヤーではないですし、気恥ずかしい気もしますが、自分の人生のターニングポイントだと思って、今回、大学時代からの友人のよしみで聞き手をかって出てくれた安藤 岳さんと、読んでくださる皆さまに感謝して書いていきます。
第一部
-2016年シーズンからリコーに入団。そもそもトップリーグを目指し始めたタイミングきっかけは
ラグビーを始めたのは中学1年生からですが、目指し始めたのは中学2年生の時です。
顧問であるニュージランド人の先生が当時の日本代表やトップリーグの映像を見せてくれて、トップリーグの存在を知って同じフィールドに立ちたいという憧れを持つようになりました。
-入団前のリコーについての印象は
一番は武者大輔選手(=法政大卒・現三菱重工相模原ダイナボアーズ)の印象が大きかったです。近年優勝から遠ざかってますが、ハングリー精神にあふれるチームなのかなという印象でした。
-実際入団してみて
本当に優しい人が多くて、雰囲気が柔らかいという意味だけではなく、いろんな所まで気にかけてくださったり、わからないこともすぐ教えてくれたり、周りに気を配れる大人な方が沢山いらっしゃるチームでした。
-環境面では今までにない大きな変化だっと思う
リコーのグラウンドはリーグの中でもトップクラスで、併設のジムもありますし、食事面でも練習のある日は栄養バランスの取れた食事が朝昼晩と用意されていて。設備もキレイですし、しっかりと管理がされてるなという印象でした。ハードの部分だけでは無く、コーチ、医療系スタッフ、栄養管理士の方など人材面での環境の良さも感じました。
-入団前のトップリーグにもつイメージは
初めて見た時から、自分が当時所属していたチームとの圧倒的な実力差は感じてました。外国人選手の存在もそうですし、とにかく大きくて速い。数あるラグビーのリーグの中でもレベルの高いリーグだなと思っていました。
-世界レベルの外国人選手が在籍するリーグに加わってみて
一番痛感したのはフィジカルの部分ですね。普段の練習から肌で感じましたし、今、目の前にいる選手を超えなければ試合に出ることができないという現実は、なかなか大変な事だと思いました。
これまで強みだと思っていた部分が通用しない危機感があって。まずは自分と同じポジションの人たちとベンチプレスや持久系など数字で出せる部分を比べて、見える部分の差、努力で埋めれる部分の差を少なくすることを目指しました。
-今まで所属してきたチームでも格上と呼ばれる相手、選手と対することがあったと思うが
勿論今までも強いと思う相手はいましたが、リコーに入団して印象だけではなく数字などしっかりと裏付けされた事実ベースで実力差を叩きつけられた感じです。
-外個人選手と初めて同じチームに
やっぱり挨拶が基本でした。むこうからも積極的に挨拶してきてくれるし、日本語も沢山使ってきてくれました。自分も簡単な英語で話してみたりして、普段は日本語と英語が混ざりあったような感じでした。プレー中はラグビー用語自体が英語ってこともあってジェスチャー込みで意思疎通ができてました。深いこと聞きたい時は通訳の方を呼んで会話していました。
-仲の良いチームメイトは
松橋周平選手、濱野大輔選手、山内俊輝選手、髙橋敏也選手、中澤健宏選手の同期5人は全員仲が良かったです。ラグビーの実力は勿論、人間的にも素晴らしい人たちです。
先輩ですと赤堀龍秀選手、同じ大学の出身小池一宏選手、同じ広島県の出身でポジショションも同じフロントローの眞壁貴男選手らには本当にいろいろな事を教えていただきました。
-同期の松橋周平選手や日本代表キャップを持つ選手と同じチームに
松橋選手で言えば勿論グラウンド上のプレーも飛び抜けていて、ただそれだではなくて自分の言いたいことをしっかり伝える力、チームに足りない所を見抜いて指摘するリーダーシップ的な所。そういう部分を一年目から持っているなと思いました。自分のやるべきことはしっかりやりながらチーム全体を見れている感じでした。
周りも彼の練習の一つとってもすごい準備を重ねてきているのを知っていて、それがパフォーマンスにも繋がってますし、発言にも説得力がありました。
-プレイヤーとして2018年シーズンのトップリーグカップのNTTコム戦でデビュー
(=先発 40分 ●24-52)
PR (プロップ)に転向して2年目、ニュージーランド遠征から帰国後のタイミングでのデビューで正直自信に溢れていました。まだやられることもあるけど自分のプレーは通用するっていう、今思うと根拠のない自信があった時期ですね。
ただ、実際試合に入ってみると自分のやりたい事が何一つできなくて。スクラムも相手にも崩されて。レフリーともうまくコミュニケーションが取れなくて。味方のサポートも活かせなくて。カップ戦ですが開幕戦でスタメンに起用してもらい、首脳陣の期待も感じていました。自分もチャンスだと思っていたのですが結果的にはまだ実力が達していなかったことを痛感させられました。
-足りなかったのはフィジカルな部分なのか戦術理解など頭脳的な部分なのか
納得できるものは何もなかったです。本来ならばスクラムが駄目ならフィールドでっていう切り替えをすべきなんですが、それすらもできず。やっぱり自分の中ではまずスクラムをしっかりと組まなければと思ってたのですが、試合開始からそこを挫かれて結果何もできなかったですね。フィジカルの部分のような試合前に準備できる部分は通用すると思ったのですがそれすらも通用しましせんでした。
-Bチームの試合で経験を積みながら2019年シーズン、5節神戸製鋼戦でついにトップリーグデビュー(途中出場 3分 ●6-43)
数値的な部分での差が埋まりつつあって、自分の強さであるフィールドのプレーでも良さが出せるようになってきていて。課題のスクラムでも以前まではなんとなく勝てた、調子がいいと思ったらしっかり組めたみたいな部分があったのですが、スクラムへの理解が深まるにつれて、色んな面が自分に落とし込まれてきてここがこう良かったから勝てたんだ、ここが悪かったから負けたんだっていうのが細分化されてきていて。
自分の勝てるタイミング、勝てるスクラムが少しずつできるようになってきたタイミングでした。勝てるスクラムが増えたことで自信もでてきて、前回とは違うぞという気持ちで臨みました。
-神戸製鋼戦ではスクラムを組む機会があったが
自分の中でも本当に手応えがあったスクラムです。決して相手を崩した訳ではないのですが、途中出場の中でも自分のやるべきことをやろうってクリアな状態で。結果安定したボールをバックスに出すことができました。試合後コーチ陣にも評価して頂けましたし、今までトップリーグでのスクラムの実績が無い自分には神戸製鋼相手にしっかりとスクラムを組むことができたのは大きな自信になりました。社会人プレーヤーになって4年、PRに転向して3年目でこのスクラムのためにやってきたのかなと思います。
-次節のNEC戦も出場したが(途中出場 1分 ○26-12)リーグはコロナの影響もあり終了。その後契約を更新しない事を伝えられる
最後2試合試合に出たことに対する評価、しっかりスクラムが組めたことへの評価、4年間リコーのラガーマンとしてしてきたラグビーの普及活動や、フィールド外のルール決めといった行動への評価、を頂きました。ただ首脳陣の求めるレベルには達することができなかったです。
第二部へ
ここまで読んでくださった皆さま、ありがとうございます。第二部では、PR (プロップ)になったきっかけや、これからのことについて書いていきたいと思います。
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