未来はどうなるかわからない。だからこそ自分の気持ちで決めていく
こんにちは、satomiです。noteをはじめるにあたって、まずは自己紹介を書いてみようと思います。
わたしは現在、子育てをしながらお仕事をしています。無理なく、自由に、やりたいことをまずやってみるようにしていたら、思ったよりもたくさんのことをやっていました。
一つひとつの仕事に一貫性があるかと言われるとあまりないし、これからも続けるのかと聞かれるとそれはそのときになってみないとわからない。でも、興味のあることを自分のペースで色々とつまみ食いできているいまを気に入っています。
幅広い業務に携わった新卒時代
わたしは学生時代は理系を専攻していて、大学院まで進み研究をしていました。ただ、コツコツと一つのことを突き詰めていくことがあまり向いていないと感じていたため、就職活動では「研究職以外」の選択肢を模索していました。
結局、入社した会社での配属は社長室。特に希望したわけではありませんでしたが、これまでの配属の傾向などを考慮すると「わたしは社長室に配属になるのではないか」と想像していたので、納得感はありました。
社長室で任されたわたしのメイン業務は採用。ただ社長室の業務は幅が広いので、採用だけではなく、広報の仕事をしたり、社長秘書をしたり、犬の世話をしたり・・・。
そう、会社で飼っている犬の世話までしていました(笑)。いま思うと業務でやってほしいと頼まれていたとはいえ、よく柔軟に対応していたなと思います。
新卒で社長室配属というだけでも珍しいし、業務として犬の世話をしている新卒社員というのはなかなかいないですよね。いまとなってはいい思い出です。
アメリカ帯同とその後の事件
入社して1年半ほど経ったとき、当時お付き合いしていた彼(現在の夫)のアメリカ滞在が長くなることがわかり、「こんな機会がないとアメリカに住むことはないだろう」と考えて、会社を退職して、結婚後に渡米。
そこからは現地でボランティアをしつつ、主婦業をメインでしていました。
子育てでバタバタしているころ、まさかの事件が起こります。コロナの影響でビザが降りず、日本に帰国せざるをえなくなり、夫の職がなくなったのです。
なんとか別の仕事を見つけましたが、収入としては激減。そのころに第二子の妊娠が発覚しました。家族4人で暮らすことは難しかったので、安定した収入が得られる別の仕事が決まるまでの間、お互いの両親に頼って生活をしていた時期もあります。
ここまでを冷静に振り返ると紆余曲折というか、波乱万丈というか・・・。いろんなことがあったなと思います。
でも、あまり気に病むことはありませんでした。「両親に頼りながらであれば、1.2年は問題なく生活できる」「いざとなればわたしも働けばいい」と楽観的に考えていたんです。
夫は責任感からか体調を崩していましたが…(笑)。わたしはどうにかなるといつも感じていたと思います。
安心な場所を支えに自由に生きる
夫の新しい仕事が無事に決まり、秋田に転居。現在は、子育てをしつつ、仕事を自分のペースでやっています。
人っていろんな面があるから、いくつかのことを並行してやっていくのが心地よいなとは感じていて、これからもいろんなことを掛け持ちしていくのだろうと思いますが、具体的な方向性は決まっていません。
現状は「できることで稼ぎ、経済的な支えを作る」ことと「やりがいを求めてやりたいことにチャレンジする」ことを同時並行で対応しています。やりがいのあるやりたいことをもっとできるようになったらいいなとは思いますが、そこに対して焦っているわけでもありません。
いろんなことをそのときの気持ちで決めたい。この先どうなっていくかはわからないけれど、そのときに身を任せる。それがわたしらしいのかもしれません。
そういえば、わたしは夫に「けん玉の玉みたいだ」と言われるんです(笑)。
どういうことかというと、根がシャイで一人では何もできないけれど、ひとつでも安心できる場所が見つかると、そこから自由に動ける。けん玉の棒を軸に、自由にわたしらしく活動することができる。
そして、いまのわたしにはその安心できる場所があるので、どんなことものびのびとやっていられるのかもしれません。
そうやって、今後も自分のペースでやりたいことをやっていきたいと考えています。