台風19号の水害を受けて
台風19号、過ぎ去りました。
みなさん大丈夫でしたか…?
僕の家は埼玉の都幾川沿いだったこともあり、一階のほぼ天井まで約2.5メートルの浸水の被害を受けました。
それでも。幸いなことに家族は全員無事でした。
連絡をくれた皆さん、ありがとうございました!
気にかけてくれる人がいる有り難さに、本当に救われてます。
※この後の内容は今回の水害を受け、考えたことを書き出しておこうと思います。まとまりもなく、ネガティブな表現もありますが、問題なければ読んでください。
大体の思い出はゴミになりました。
感情を殺して、泥と一緒に思い出をゴミ袋に詰め込む毎日がこれから何日も続くのかと思うとそれなりにメンタル削られていくなあと、台風から5日が経ち、強く感じています。
僕自身は都内に住んでいるので、正確に言うと僕の両親が住んでいる家が直接の被害を受けました。
有識者の方であったり、ボランティア行くぞという方には被災した人の気持ちと、同じような災害から少しでも人を守れる社会の仕組み作りに役立てて欲しいです。
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実家は都幾川のすぐ横に位置しています。
そのため、台風が接近してくる間、都内の家にいた僕は、Twitterで「都幾川」を何度もエゴサして、両親へ避難したほうがいい、と15時と16時半に2回電話で伝えました。
そう思ったのは、Twitterに出てきた都幾川の様子が分かる動画や写真をたくさん見ていたというのと、TVに表示される大雨洪水警報や土砂災害警報に東松山に出ていたからでした。
(うちの地域は相当酷かったはずですが、今思うとあまり報道されていなかったような・・、何でだろう)
Twitterに流れる情報の中に、行政が提供する定点カメラで川を撮影している映像があったので、自分でも色々と見てみたくなりました。
が、サイトが本当に見づらかったのと、高負荷なのか中々再生されず…
そうなると、行政からの情報よりもTwitterに流れるユーザーのポストする情報の精度が優秀であると強く感じました。
アクセスしたい情報がばら撒かれていて、知りたいことはすぐに知れました。
そもそもの疑問になりますが、
・水量の増加
・堤防の決壊
・川の氾濫
この3つは、台風が出現したタイミングである程度影響を予測し、市民に通達出来なかったのでしょうか。
雨量とダム、堤防の強さである程度読めそうですし、もっと早いタイミングで強制避難みたいなことも出来たのでしょうか…
もし、そういった仕組みができていたとしても、その情報をどう伝えるか、ということも大きな課題だと感じました。
僕の家族は、子供が20代ということもあり、Twitterから情報を仕入れて、両親へアラートを上げる流れがありました。おそらくそういった家庭が多かったのではないかと思います。
でも、報道もされているように高齢者の方々の孤立、情報格差が生まれて、逃げそびれることも事実として起こっているように感じます。
その避難の通告が直接的にあったとしても、避難するというアクションのハードルの高さも感じました。
自分自身、二子玉川の近くに住んでいるので、実際に避難しようかと頭をよぎりましたが、億劫になったのと、なんだかんだ大丈夫だろ、と高をくくっていた自分がいました。
TwitterとLineがあったから命を救われた人は多いと思います。
ですが、
もし、今も停電している地域があったとして、
もし、スマホが充電できていなかったら、
もし、今週末の天気が悪くなって、大雨になったら・・
そう考えるとSNSが立派なライフラインを担っているように感じます。
311以降、復興支援や、防災ワークショップを学生時代に何度か経験してきて、ある程度の防災意識や生き延びる術があると無意識に思っていました。蓋を開けてみると、それはただの油断、自然の前では無力過ぎました。
突き詰めると、その土地に住むことを選んだことが問題なのか、起こった災害に対しての予防線を張れなかった人たちが問題なのか、どちらかな気がします。
今後は、家の中の泥だらけのモノを片付けていきます。
片付けだけでも、あと1週間はかかると思っています。
家の中が片付いた後は、両親がこれからどこに住むかを一緒に考えていくつもりです。
親戚の家を転々と宿泊させてもらうのも、きっと心苦しく思っているだろうし、少しでも心を休められる環境を整えてあげたいです。
そのためにも、行政から何を支援してもらえるのか、積極的に調べていかないと情報を逃している気もして不安が大きいです。
帰る場所が無くなってしまった両親の気持ちを考えると、長いスパンでのフォローが必要だと感じています。
まだ、家がどうなるのか分かりませんが、せめて寄り添っていたいと思っています。
僕の会社は、この事実を相談したところ、すぐに休めと言ってくれました。本当にありがたかったです。
この水害は、親戚や友人、会社の人に助けられっぱなしで、人との繋がりを猛烈に感じるとともに、随分と連絡取ってなかった友人との繋がりを感じる契機となりました。
学生ぶりに連絡をとった、地元に住んでる友達が「生まれ育った街だから」と言って、ボランティアで被災した家を回っていました。
言葉にできない感情がこみ上げてきて、胸が熱くなって、泣いた。
親戚や友人が、罹災証明や、携帯料金の減免など、情報を送ってくれたことも、有り難みを強く感じました。感謝しかありません。
そういった意味では、帰る場所は物理的な家という場所ではなく、その土地や自分の過去に紐づく人間関係に残ってると感じることができました。
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