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おぼんとじいちゃん

高速道路渋滞のニュースを見ると
盆だなぁと思う。
仕事柄、私にはお盆休みはないけれど
ショッピングモールに集う
帰省しているであろう家族や
スーパーに並ぶオードブルを見ると
「盆だなぁ〜」
と、当たり前のことを感じるのだ。
そしてオードブルに対し
「これ一人で食ってみてぇなぁ…」
とひそかに夢見るのも
この時期ならでは、である。

そもそも盆とは
ご先祖様の霊をお迎えして
その数日を一緒に過ごす
という供養というか行事というか
そういったものだと認識している。
全国各地でさまざまな行事があるし
家庭ごとに盆の過ごし方は様々だろう。
先ほどもお伝えしたように
私にはお盆休みがない。
それでもこの盆の時期には
ご先祖様に思いを馳せずにはいられない。

私はじいちゃんっこだった。
じいちゃんとの思い出は非常にたくさんある。
楽しいことから切ない思い出まで、たくさん。


私の両親は共働きだったので
一緒に暮らしていたじいちゃんには
大変にお世話になった。
私が幼稚園から帰ったあとは
必ず近くの駄菓子屋さんに
連れて行ってくれたし
英語教室に通っていた時も
じいちゃんは送り迎えをしてくれた。
学校から帰る私に
「おかえり」と言ってくれるじいちゃんは
必ずどっかりとソファに座っていた。
どこかの王様みたいな佇まいだった。
じいちゃんが近くの公園に
連れて行ってくれた時は
じいちゃんが目を離したすきに
勝手に家に帰ろうとして
結局迷子になった私を
めちゃくちゃに怒った。(そりゃそうだ)
両親が私たち姉妹のために
一生懸命働いてくれている間
じいちゃんが私たちの面倒を見てくれたのだ。
親にもじいちゃんにも、感謝である。


それにじいちゃんは絵がすごく上手だった。
市の絵画コンクールにも入賞するレベルで
しかも独学ってんだからすげぇのだ。
じいちゃんは絵を描く時に
イーゼルを持っていなかったので
床に画用紙、というスタイルで描いていた。
主に水彩画を描いていたけれど
初めは色鉛筆でも絵を描いていたらしい。
いつも陽の差す窓辺で絵を描いていて
そんなじいちゃんの背中が好きだった。
じいちゃんが描いている時は
とても静かで穏やかな時間が
流れているようだった。
私の母は
「もっと絵を描ける環境を
整えてあげたかった」
と、心残りを話すけど
私はそんなことないと思っている。
じいちゃんは十分楽しそうに
絵を描いていたし
とにかく一生懸命に絵を描いていたから
きっとそんなことは
考えていなかったんじゃないかな、と。
(そうでなかったらごめん、じいちゃん。)


そんなじいちゃんも
私が19歳の時に遠くへいってしまった。
その頃私は東京に住んでいて
親から連絡をもらってすぐに実家に戻った。
私が東京に行くことを
すごく心配していたじいちゃん。
じいちゃん的には
きっと反対だったんだと思う。
それでも母が説得してくれたのだろう
私がやりたいことがあるんならと
東京へと送り出してくれた。
それから割とすぐに
入院することになったと聞かされた。
私が実家にいるときから
じいちゃんに病気があることは知っていたし
少しだけ認知症の気配があることも
わかっていた。
心配はしていたものの
実際に親から連絡が来た時は
すごく動揺した。
でもそんな時ほど人は意外と冷静に
飛行機のチケットをとったり
学校の教師に
しばらく休むことを伝えられたりする。


じいちゃんの死は
とてもとても悲しかった。
こんなにもただただ悲しいことが
あるんだと知った。

じいちゃんが亡くなってから
もう十年以上が経つ。

高校生の時
呼吸が苦しそうだったじいちゃんの
背中をさすったこと。
その時じいちゃんが
弱気なことを発言するもんだから
私が急に泣き出しちゃったこと。
認知症のせいか
少し怒りっぽくなったじいちゃんを
母と一緒にどーどーと落ち着かせたこと。
じいちゃんが旅立った時
とっても悲しかったけど
じいちゃんが苦しいのから
解放されたのかなって
少しだけ安堵する気持ちもあったこと。
楽しいことや
あったかい思い出ばかりじゃない。
非常に現実的だし
思い出すとやっぱり涙がでちゃう。

でもそれは辛いことでは、ない。
悲しいかもしれないけど
辛さとは少し違う。


盆の時くらい
楽しかった思い出も
あったかい思い出も
切なくて悲しかった思い出も
まるっと全部思い出して
ぎゅっとしたい。

そして
繋がって繋がって
現在の私がいることに
手を合わせて感謝する。

それが、私の心の中のお盆、なのだ。

ちなみにじいちゃんと言えば
寒天、である。寒天。
じいちゃんはある時期
寒天にハマっていた。
毎日寒天を食べていた。
私が学校から帰ると必ず
「寒天たべるか?」
と確認があった。
なぜ、そんなに寒天を?
と、思っていたけど聞かなかった。
じいちゃんがハマるなら
好きなだけ食べたらいいと思ったから。
だから今でもスーパーで寒天を見ると
これはじいちゃんのための食べ物だ
と、思う。


もし、今。
ご先祖様が帰ってきているなら
私が今これを書いているのを
うしろから、いや正面から
見つめられているかもしれない。

お帰りの際はお気をつけて。
実家の仏壇には
ナスの乗り物、用意しております。
それに乗ってゆっくり帰ってね。

そして、ご先祖様。
いつもありがとうございます。



読んでくれありがとうございました。


やさい

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