実行支配
概念
近代国際法では、国家がある領土を所有しこれに対して主権を有するということは、そこに「国家の権能が外国から争われることなく且つ途絶えることなく示されていること」を意味するとされる。数多の国家間の領土・国境紛争に関する国際裁判例を見ると、「国家権能」の表示の仕方や度合いはその場所によって異なるが、無人の離島の場合では国家の領有の意思を示す最低限の行為として国名を記した標柱を立てるといった行為が必要とされる。居住者があれば、これに対する国家の行政行為(例えば、徴税など)があれば良しとされる。極地に近い居住条件の悪い地域の場合は、国家の公共の施設として例えば気象観測所などが置かれていれば良いであろう。
国家権能の表示行為が必ずしも明確に行われていない地域でも、そこに国民が居住しているという事実があれば、それが考慮されたと解される判例もある。これはおそらく珍しい例外というべきだが、1966年の「アルゼンチン/チリー(パレナ地区)国境事件」仲裁判決がそれで、この事件では当該国境地域にその国家の国籍を有する入植者人口が多かったという事実があり、その生活利便性が考慮されたようである1。この場合にせよ、他の条件の紛争地の場合にせよ、主権又は領有権を争う両当事国の主張が天秤にかけられて、相対的に重い方が認められるといってよい。普通は国家の公的な行為が評価の対象とされるが、領有のために絶対的に必要とされる物理的条件は明確に定まっているわけではない。
以上抽象的な概念規定を述べたが、実際問題としては、具体的な事態の経緯・事情にも言及した上で、その法的意味の客観的評価を加えることが重要である。つまり、国際法の考え方を踏まえて「実効支配」を評価した報道をすべきであるが、現実の報道ではこれがほとんど欠落している。事は国家の根幹である領土に対する主権・領有権に関わることであるから、問題の正当な評価を蔑ろにする訳にはいかない。
紛争
ここで「紛争」と「クリティカル・デート」に触れておかなければならない、なぜなら、そもそも「実効的支配」が問題になるのは領土をめぐる関係国間の争いがあるからで、その争いがいつから始まってどのような経緯をたどってきたかがまず明らかにされなければならないからである。国家間の争い=紛争について、国連憲章は第34条において「いかなる紛争についても、国際的摩擦に導き又は紛争を発生させる虞のあるいかなる事態についても」という表現を用いて「国際的摩擦(international friction)」、「紛争(dispute)」、「事態(situation)」を区別しており、「紛争」をいうときは少々注意して表現する必要のあることを示唆する。
ならば「紛争」とはどういう状態をいうかといえば、国際判例によると、
とか、
「国際紛争の存在は客観的に確立されなければならない。紛争の存在の単なる否定だけでは、紛争が存在しないということの証明にはならない。(中略)したがって、条約上の一定の義務の履行又は不履行に関して両当事国の見解が明確に対立するような事態が(中略)存在する場合、裁判所は国際紛争が発生していると結論付けなければならない。」
という説明がなされている2。要は、「当事国間に見解や利害の対立があって、それが客観的に明確な法的見解の対立になっている場合は「紛争」が生じている。」とされるということである。したがって、客観的に明確な法的見解の対立が見られないような争いは、国際裁判では「紛争」とは見做されないことになる。
次に問題になるのは、この「紛争」がいつ発生したかという時間的要素である。国家間の領土をめぐる争いは長期間にわたることが多く、その間に当事国間に何らかのやり取りがなされている筈であり、その過程を通じて法的争点が浮かび上がってくる。かかる争いが国際裁判にかけられた場合は、裁判所が両当事国の主張を整理して「紛争」の存在とそれがいつから存在するかを確定し、この紛争発生時点を「クリティカル・デート(決定的期日)」と規定する。そして、ここが重要な点であるが、この時点までの当事国の行為は考慮すべき行為、いわば実績、として認定するが、この時点から後の行為は考慮の対象としない。この考慮の対象とする行為を「実効的支配」というのである。裁判では、両国のこの「実効的支配」の度合いを比較して、より強力な方を有利と判断し、そちらの領有権を認めるということになる。
したがって、この「クリティカル・デート」より後の行為は、当事国が「実効的支配」の行為だと主張しても、裁判では考慮されず認められないことになる。簡単にいえば、それはいわばノーカウントになるのである。この扱いは合理的というべく、「クリティカル・デート」後の行為を勘定に入れることになると、自国に有利になるようにと臆面もなく‘実績’を積まんとする行為が繰り返され、両当事国間の関係秩序を徒に害し一般国際関係の法秩序を損ない、公正さに反することになろう。但しこれは国際裁判所という第三者機関によって客観的に判断されてそのようになるのであって、当事国が正しい「クリティカル・デート」を意識して行動するわけではない。もっとも、場合によっては、当事国はある程度「クリティカル・デート」を予測し、それに向かって‘実績’を積もうと行動することもあり得る。そこに事態が紛糾する理由があり、だからこそ中立の第三者機関たる裁判所の判定が意味を持つことになる理由がある。
正確を期するために、ここで1953年の英/仏「マンキエ・エクレオ事件」国際司法 裁判所判決に展開された「紛争」と「クリティカル・デート」の議論を見てみよう。こ の事件では、両当事国が英仏海峡のサンマロ湾沖合のマンキエ諸島及びエクレオ諸島 における自国の実効的と考えられる行為を詳細に申し立て、「クリティカル・デート」 を自国に有利になるよう設定し、これらの諸島の領有権を確保しようとしたのであっ た。フランスは、1839年の英仏漁業条約をクリティカル・デートとし、それ以後の事態 の展開をいずれの側の実効的支配としても考慮すべきでないと主張し、英国は、本件を 国際司法裁判所に提訴すべく両国が合意した1950年をクリティカル・デートとしてそ れまでの事実関係を考慮すべきだとした。両国、とくに英国はきわめて詳細にクリテ ィカル・デート論を展開したが、裁判所はそれほどの詳細な検討は見せず、両国の主張 を次のように要約して判定を下した。
「連合王国政府の主張では、両当事国は2つの島嶼群に対する主権について長きにわたって意見を異にしてきたが、1950年12月29日の特別協定の締結以前には紛争は“結晶化”していなかった(the dispute did not become “crystallized”)、したがってこの日がクリティカル・デートと考えられるべきで、その結果この日より前のすべての行為が裁判所によって考慮に入れられるべきだとする。一方、フランス政府は、1839年の条約の日がクリティカル・デートとして選択されるべきで、その後のすべての行為は考慮から除外されるべきだと主張する。」
そして、次のように結論を述べた。
「1839年の条約の時点でエクレオ及びマンキエ両島嶼群に対する主権についての紛争はまだ発生していなかった。両当事国はかなりの期間にわたって牡蠣の採取の排他的権利を巡って争っていたが、この問題をエクレオ及びマンキエ両島嶼群に対する主権の問題に関連付けていなかった。こうした事情の下では、主権に対する証拠を採用するか除外するかという問題に対して、当該条約の締結が何らかの効果を持つべき理由はない。これら島嶼に対する主権に関する紛争は1886年(エクレオ諸島について=引用者)及び1888年(マンキエ諸島について=引用者)以前には生じておらず、この時になってフランスは初めてエクレオ諸島及びマンキエ諸島それぞれに対して主権を主張したのである。しかし、本件の特別の事情に鑑みて、問題の措置が関係当事国の法的地位を改善する目的でとられたのでない限り、その後の行為も裁判所によって考慮されるべきである。多くの面で、これらの島嶼群を巡る活動は、主権に係る紛争が発生するよりもずっと以前から徐々に発展していたのであって、その活動はその後も途絶えることなくまた同様の仕方で続いてきたのである。こうした事情の下では、この継続的な発展の過程において1886年及び1888年以後にそれぞれ生じたすべての事実を除外することは正当化され得ないであろう。」
裁判所は両当事国の争いの様相を分析して、対象領土に対する主権意識に基づく行為がぶつかり合う時点をとらえ、エクレオ諸島について1886年、マンキエ諸島については1888年に「紛争」の発生があったと認定し、その時点を「クリティカル・デート」と裁定したのである。しかし、本件の「特別事情」に鑑みて、諸島におけるその後の英国の継続的な活動をその「法的な地位を改善する目的」のものでなかったとして、1950年の裁判所への提訴のための協定の時点までの行為を考慮に入れることにしたのである。
以上に見たように、国際判例に基づく「実効的支配」の基本的意味は、「正当な実効的支配」ということであり、それは客観的に慎重に認定すべき事項であるといわなければならない。これに照らしてみると、世上に言われる「実効支配」は少々雑な表現であり、その意味するところも少々雑な状態を指しているといわざるを得ない。
竹島について
我が国の関わる領土紛争のうち、竹島紛争について、韓国側の主張する「実効支配」の形態は、「警備隊の駐屯、灯台の設置、竹島を図案にした切手の発行、実地測量による地図の作成、植生調査などの学術調査の実施、民間人の住所登録、各種建造物の建築、埠頭・ヘリポートの建設等、多くの行政権行使や物理的管理」である4。これらの行為は、領有権が確立している場所においてなされたものならば、正当な行為として国際法上も認められよう。しかし、いずれも1952年1月18日に当時の李承晩大統領が「海洋主権宣言」なる布告を発し、一方的に日本海に広大な海域を囲い込む「平和ライン」(いわゆる「李承晩ライン」)を引いてその中に竹島を囲い込んだ時点より後の行為であって、「海洋主権宣言」に対して我が国が繰り返し抗議し、その無効を主張してきた期間になされた行為である。
換言すれば、わが国が「紛争」の存在を主張し始めて後に上記のような行為が韓国政府によって行われてきたのであって、韓国は「紛争」の存在を否定するが、すでに上記の「紛争」の定義の箇所で見たように、「紛争の単なる否定だけでは、紛争が存在しないということの証明にはならない。(中略)両当事国の見解が明確に対立するような事態(中略)が存在する場合、裁判所は国際紛争が発生していると結論付けなければならない。」というのである。これは国際裁判所という高度な司法専門機関のいうことであるが、常識的にも十分納得のいく説明である。韓国の主張に対し、我が国は1952年以来抗議し続けており、3回にわたって問題を国際司法裁判所に提訴すべきことを申し入れているが、韓国はその都度これを拒否したという事実経過がある。
こうした状況に鑑みて、竹島紛争のクリティカル・デートはいわゆる「李承晩ライン」宣言の1952年とするのが妥当というべきで、そうであるとすると、その後に韓国がとってきた一連の「実効支配」と申し立てる行為は、国際法的に正しい「実効的支配」になっていないということである。したがって、上記のような韓国の一連の行為をメディアなどが鵜吞みにして「実効支配」の行為と表現するのは正しくない。
実効的支配の関連でもう一点注意すべきことは、不当な行為に対してこれを認めないという態度を維持することの重要性で、これを怠ると相手の行為を黙認したことになる虞がある。韓国の竹島に対する行為や中国の尖閣諸島周辺海域における行為に対して、我が国はその都度外交チャンネルを通じて抗議を繰り返している。これを生ぬるいと称する向きもあるが、国際法上は最小限の意思表示として抗議は有効であり、国際裁判においてもそれが認められた例がある6。
領土に対する主権・領有権の取得及びその維持ないし保有において国際法上最も重視されるのがその行為の客観的「実効性」であり、それが正当性を有るときに領有が本物になるのである。したがって、世上に出回っている「実効支配」という表現は、「事実上の支配を狙う行為」を表すものでしかないと理解すべきであろう。
(内閣官房 竹島研究・解説サイトより 三好 正弘 (愛知大学名誉教授))