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SNSに棲む幽霊

SNSがなかった頃は、ドロっとした気持ちや、納得出来ないこと、表現できない高ぶりはいちど飲み込んで、信頼のできる大切な人にだけ話したりしてやり過ごしていた。
そしてとうに忘れた頃、たまたま手に取った小説の中に、洗練された言葉で当時の気持ちが書かれているのを見つけて「あの時の私の気持ちはこういうことだったんだ!」と溜飲を下げて、未消化だった気持ちを成仏させていた。

でも今は、何か心が揺れると即、余計な感情もくっつけたまま、生々しくドロっとした気持ちをSNSに投げる。それが良いのかどうなのか分からない。分からないけど、そうやってSNSに投げ込まれた感情はきちんと成仏できていないまま、まだこの世を彷徨っているんじゃないかと思うときがある。

未消化な感情で自分を飽和させるくらいなら、何も語らない方がマシなのかもしれない。

…と、未消化なままnoteに書いてしまう自分。
でもnoteなら良いかと思ってしまう。noteは消化されその人の心の血肉になった言葉が集まる場所な気がするので。

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