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「考えすぎる」ということ

こんにちは、Yooです。

突然ですが、私は酷い偏頭痛持ちでして。
しかも最近それが結構悪化しているように感じております。

私は学生なのですが、この酷い偏頭痛は朝に一番痛みを伴っており、

その影響で先週の水木金、そして三連休明けの火曜日の合計4日、学校を欠席している状態なのですね。


更に問題なのが、これが中間考査前であるということ。

今このnoteを書いている日は、まさに学校をお休みしている日でして、明後日には考査一日目が控えている、そんな状況です。

……

しかしここで、4日+三連休学校に行ってなければどのような精神状態になるかです。


私の場合、"自己嫌悪"と"極度の不安"。



私が欠席している間も、当たり前のように学校では授業が行われている。
つまり今の私は、他の人よりも知識量が少ない状態である、ということ。


考査前にこれはまずい。


"極度の不安"を感じてしまい、さらにそれが学校へ行きたいという前向きな気持ちを引き止めてしまっているわけでございます。

あとは"自己嫌悪"

これは偏頭痛ごときで学校を休んでいる罪悪感、そして自分の弱さを痛感しているからで。


頭痛だけで休んでいるのは甘えなのではないか、本当は酷い偏頭痛があっても我慢していくべきなのではないか、と。

そう心の中で反芻してしまう私です。

母はそんな私を「あなたは考えすぎな性格だから。もっと楽に考えていいんだよ。」と励ましてくれるのですが…


考えすぎな性格?これは本当に考えすぎなのか。
ここまで考えるのが当たり前なのではないか。それが礼儀なのではないか。


と更に考えてしまうわけです。
…礼儀はおかしいでしょうか。

これは母を否定している訳では全くなく、私個人の考えなだけですがね。

私の考えすぎたり思い悩みすぎる性格というのは、こういう場面で、自分の「ポジティブに行こう」という意志に反する行動を取らせてしまいます。


何も考えなくてもいい、と言われても、その発言に対してまた考えすぎてしまう。

「考えすぎること」が悪い影響を与えるモノになってしまうと、簡単に悪循環が生まれてしまう。それが辛い!


あ、これを読んでいる方の中で、同じような方はいらっしゃるでしょうか。

もしいれば、感想など書いてみてくださいね。


ほんのちょっと、私が救われます。


……

ということで、ただの私の悩みをつらつらと書くだけになってしまいましたが…。

この偏頭痛、治るといいなーなんて、少しだけ希望を持って生活しようかなと。


明日の朝は、学校へ行けるだけの体調になってくれれば。


ここまで読んでくれた方、ありがとう。

あなたも、あなたのままで笑顔でいられますように。






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