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わたしは今日、おなかがすきました


まだ(もうなのか?)28歳の僕は、生きるということは「自分の世界を広げていくこと」だと思って日々暮らしている。きっとどんどん狭くなっていくのかな、とか思いながら、あがなうように広げて生きている。なるべく色々な環境に自分を置くようにしていて、常に自分と周りの価値観が狭い世界の中のもので当たり前じゃないんだということを意識して過ごしている。
年を重ねる中で、どんどんと僕の世界は広がっていった。

逆を言えば、遡れば遡る程、狭い価値観の中で生きてきたわけで。
僕は家庭のことを「子供にとって一番初めの社会」だと思っているのだけど、そこで蓄積されて僕にしみついた呪いが、28にもなって今更、2人の友人によって突然に救われるとは全く思ってもいなかった。

★★★

僕が中2の春、両親が離婚して母子家庭となったことで、元々強かった母親のクセは更にひどくなった。
とにかく世間体を気にするのと、世の中は学歴が全てだと兄と僕にひたすら勉強することを強制してきた。別に勉強をさせるのはいいのだが、やり方がよくなかった。遊びは極端に規制されたし、僕も兄も何より許していないのが、自分の友人達を馬鹿にする様な発言をされ続けたことだ。ただ楽しく生きていたい学生時代に、こんな強制は相当に腹の立つ話であり、僕も兄も母親のことをどうにも好きになれないまま大人になっていった。

☆☆☆

家族のことについては時折悶々としながらも、今の自分自身の生活は割と幸せなため、あまり気にせずに日々を生きているさなか、10月の木曜に母親から突如連絡があり、兄が大問題を起こしたことを知る。頭が真っ白になったが、翌日すぐに地元に帰ることを決めた。正直、僕の中にある一番大きな感情は「もういい加減にしてくれ」だった。家族だからとか血の繋がりがあるからとか、僕には良くわからない。なぜただそれしか繋がっちゃあいない人間が、僕が今培ってきた幸せを邪魔しにくるんだ、迷惑だという思いで胸がいっぱいだった。憤りや悲しみでぐちゃぐちゃの感情になりながら、一泊で札幌に帰った。

問題を起こしたのは兄であり、当然今回誰が悪いかと言われれば彼なのだけど、一泊の中で兄と、母と向き合った結果、僕がどうしても許せないのはやはり母だった。
彼女はずっと嘆いていた。それはもはや兄への非難でもなかった。ただ、何故自分がいつも不幸にならなければならないのかを嘆いていた。小さい時から、兄が問題を起こすたびに自分が頭を下げに行く、その度に何故自分が謝らなければならないのかと辛かったと嘆いていた。僕からしたら理解できない感覚だった。そして彼女はいつも僕に言う言葉をまた口にした。

「あなたはいいよね」

彼女のこの言葉はしっかりと僕の呪いになっていた。家族に何かあっても、東京で生きている僕には逃げ場所がある。嫁も友達もいて、楽しそうに生きていて。あなたはいくらでも向き合わずに逃げれていいよね。私はあなたと違ってどこにも逃げることができないから。家族に何か問題がある度に彼女が口にするこの言葉は、予想通りではあったが今回も僕に向けて放たれた。

これを言われる度、僕は酷くむなしい気持ちになるのだ。当然色々な怒りもわいてくる。が、同時に目の前でそんな言葉を言っている人間は、恐らく自分より先に亡くなるであろう、「弱い」人ではあるし、今はどうあれ20年近くは一緒に暮らしてきた人間でもある。怒りというよりはもはや悲しいし、振り上げた拳を力なく降ろす以外に何もできなくなる言葉だ。「全部なかったことにしてくれ、忘れさせてくれ」そんな叶うはずのない思いしか僕はもう持てなくなる。

☆☆☆

こんな話は誰かに相談して解決する類のものではない。それをわかっていながら、聞いていて気持ちの良い話でもないこともわかっていながら、あまりに辛かった僕は2人の友人に話をしていた。

一人は大学時代からもう10年近くの付き合いになる親友。僕が何をしゃべるかではないところで、もうずっと僕のことを理解している友人。

もう一人は今年であった大学の後輩。僕が今noteを書いているのも彼女の影響であり、知り合ってまだ半年くらいの、人生の全てに真摯な友人。

親から連絡が来てから、地元に帰り全てが終わった後も、処理しきれない辛さを抱えていた僕はずっと二人に話をしていた。二人とも、何も言えることなんてないだろうに、なんなら聞いていて気持ちのいい話でもないだろうに、ひたすらに聞いてくれた。

母からの電話をうけた直後、どうにも動揺が止まらなかった僕は、親友と電話をし、ただただ整理するために事実を話し続けていた。なにかを伝えるような話ではなく、ただただ不安を落ち着かせたくて、でもなにが辛いのかもよくわからなくて、話し続けていた。
彼女からしても突然言われて何かが浮かぶ様な話ではなかったと思う。ただひたすらに話を聞いてくれたあと、ぽつりと言われた。

「あなたはちゃんと育ったね」

涙が溢れた。電話の向こうの彼女の声も震えていたことも含めて、僕は涙が止まらなかった。
その言葉を何度も何度も思い出しながら、僕は地元でやるべきことをやってきた。

地元でしっかりと呪いを受けてきた僕は、やはりまだ気持ちを整理したくて、その後にも二人に会ってもらい何があったかを全て話した。二人とも真剣に、まっすぐに話を聞いてくれた。
ひたすらに感謝しながら帰りの電車に揺られていると、後輩からラインが来た。
丁寧な挨拶と、お礼と。励ましの言葉と。優しい言葉が並んでいる中で、唐突に書かれていた。

「わたしは今日、おなかがすきました」

瞬間的に、涙が出ていた。理解より早く感覚が訪れたのは久しぶりだった。何故かはその時わからなかったが、涙は流れていた。

彼女は、自分自身が相手に対してこわばっている時、お腹が空かない。僕はそれを、知っていた。以前彼女はそれを、文章にしていた。

☆☆☆

本当に辛いことが自分に降りかかっている中で、僕はもはや何が辛いのか、何故自分が辛いのか、もうわからなかった。わかることは自分が今辛いということだけで、何も冷静ではなかった。

その中で。

その中で。二人の言葉は、ただ僕を全肯定した。

僕をもうずっと見てきた友人は、僕の今まで積み重ねてきた全てを、自分の心を震わせながら。

今年出会った友人は、今の僕の振る舞いを見て。
自分の中に強くあるであろう鍵を開けて、受け入れてくれることで、今の僕の生き方を。

二人が僕にくれたもので、僕は初めて自分がただ肯定されたかったのだということに気づいた。
どんなに自分が悪くないと頭でわかっていたとしても、冷静に認められていたとしても。
僕はきっと、不安でしょうがなかったのだ。ただただ、安心したくてしょうがなかったのだ。

僕は二人の友人によって、今までも、今も、自分の全てを肯定してもらえたのだ。
僕をずっと見てきた友人は、自分のことのように心を震わせることで。
今の僕と向き合ってくれている友人は、自分の中の重たい枷を外してみせることで。
二人とも、僕に何かを伝えるわけではなく、自分をさらけ出すことで、僕を肯定してくれたのだ。
僕すら気づいていなかった僕の欲しかったものを、二人は驚くほど簡単に与えてくれた。

☆☆☆

呪いは、確かに存在した。
積み重なったものは、簡単には消えない。それは確かに僕の一部と言ってもいいくらいの業で、悔しくも染み付いた自分の一部だった。

それでも。

それでも、ある日突然に、僕が自分のことをわかっていないままでも、魔法はかけてもらえるのだ。
自分で予想すらしていないタイミングで、僕が長年辛かった呪いは、あっけらかんと唐突に祝福された。
それがどれほど重たいものであったとしても、愛を持って生きていれば、ある日それは突然に救われて、大したことのない思い出に変わるのだ。

愛をくれた二人に心から感謝しながら。
愛することをやめずに生きていこうと、また思えたのだ。

今年は本当に、いい一年だった。



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