沖縄に来た本当の理由④

「座りましょ、座りましょ。」
口をパクパクさせていた私をベンチに座るよう促してくる。
「ね。教えて。何があったの。」

本当に自分の身にあったことを口に出していいものか否かわからなかった。
でもこの人は多分普通じゃない(失礼である)
普通じゃないから話してもいいかもしれない。(大失礼)
そして、私は自分の身に起きたことを彼女に話した。
「うん、うん。」と真剣に聞いて、彼女は名刺を出してきた。「沖縄国際ガイド 新島メリー」と書いてあった。
「私はね、そういう人を感じる訳。信じられないでしょ。でもねそういう人生なの。だからこんなしてガイドの仕事もね、必要な人にしてるわけさ。あなたが死んだガマ見つけに行きましょう」
え、どうしよう。とても社交辞令で言ってるとは思えないけど、これは着いていくともしかしたら高額請求をされるかもしれない。インドでのトラウマが私の頭を掠めた。
「あ、お金ね、そんなのは要らないわよ。神様からの仕事だからね。あなたは明日レンタカーを借りて私の家に迎えに来て。」
この人は恐ろしい人だ。サトラレ、というやつなのだろうか?心の中を瞬時に読まれてしまった。
やはり普通では、ない。

次の朝、行きつけの小禄にあるレンタカーショップに行き、そこからメリーさんに指定されたお住まいの住所の普天間に向かった。
お住いはアパートのような低めのマンションのような感じで、割と新しい綺麗な物件だった。
どうやら私はメリーさんのお宅にこのままお邪魔してしまう流れのようだ。
「お邪魔しまーす….」
とても片付いたご自宅で、レースのカーテンが揺れていて、奥からボーイッシュな娘さんが出てきて挨拶をしてくれた。
どうやらメリーさんが全て話をしていたようで、娘さんも事情をわかっているような雰囲気だったが、何も質問はしてくる様子はなかった。
風通しのいいお宅。とても氣のいいお宅だ。
するとメリーさんが冷蔵庫からお皿を出してきた。ガラスの大きめのお皿にソーメンや、ツナや甘く煮付けた干ししいたけやキュウリや色々な物が乗ったものだった。そこにつゆの様なものををぶっかけてくれた。
「大したものじゃないけど、食べましょうね」と笑顔で言った。「珍しいですね、ぶっかけそうめんの上に色々な具が。ツナまで!」と驚くと
「はっさ、珍しいかね?!こっちなんかでは普通に食べるよ〜」とニコニコしながら取り分けてくれた。その後、私はいまだにあの料理に再会は出来てない訳だが。

新島メリーさん。彼女は2年ほど前に、
かの喜納昌吉さんの推薦を受けて参議院議員選挙に立候補した事があるらしい。残念ながら落選したそうだ。
喜納昌吉さんといえば「ハイサイおじさん」や「花」が代表作で、私でも勿論知っていた。

なんだか凄い人なのには違いは無さそうだ。

彼女は当時70歳くらいで、父親は牧師さまだったそうだ。沖縄ではそのくらいの年代ではアメリカ人との混血も既にいるので、よく「メリー」という名前だから、混血かと聞かれたものよ。と教えてくれた。
メリーさんの口ぶり的に、あまり父親のキリスト教信仰を良くは思ってはいなかったような、少し何か関係上、隔たりがあったような雰囲気を感じた。
そんなメリーさんは小さな頃から第六感みたいなものがあり、周りには「ユタになれ」だとか「牧師になれ」と言われ続けたと言っていた。

「私はね、ユタにも牧師にもなる気がなかったわけ。ただ、神人(かみんちゅ)だね〜とは、いつも言われてたわね。」

「かみんちゅ…なんですね。」と初めて口にする単語だなと思いながら、食後に出してくれた少し熱いお茶をゴクリと飲み干した。


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