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僕が抱えている600万円の借金のお話①
こんにちは。誠羽(せいば)です。四半世紀の人生を斜に構えながら過ごしてきたつまらない人間です。
突然ですが、みなさんは誰かにお金を借りたことがあるでしょうか?コンビニで小銭が足りなくて友達にしかたなく数十円借りる、下宿していて生活費に困って親にお金を借りる、それくらいのお金なら後日耳を揃えて返せば丸く収まります。
ところが僕はひょんなことからその借りるという行為をバカの一つ覚えで繰り返し、気がついたら600万円も借りていた愚か者なんです。
この話をするとまず真っ先に聞かれるのは、「何にそんなに使ったのか」ということです。当たり前です。たかが30年弱の年月を生きてきた若造が、どうしてこんなにも借金を抱えてしまったのかと疑問に思うのは、至極当然なことです。
この借金を抱えてしまった過程の話をする前に、まずは自分の生い立ちについて軽く話をさせてください。
人間のマインドというものは、その人の生活環境で形成されていきます。僕が軽々しくお金を借りまくってしまうような心持ちになった経緯を、自嘲と自戒をもって振り返りたいと思います。
自分の家庭環境は幼少期、とても恵まれていました。父は会社員、母も趣味の傍ら内職を行うといったような勤務体系で、いわゆる中流階級の家庭でした。欲しいものはそれなりにねだれば手に入ったし、年に一回旅行に行こうと思えば行けるくらい、むしろ裕福だと言っても差し支えないくらい幸せな暮らしをしていたのです。
そう、あの地獄のような出来事が起こるまでは。
2000年代に起こったリーマンショック。まさか自分の家がこんなことに巻き込まれるとは夢にも思っていませんでした。
不況の波を受け、父の会社は倒産。その頃僕は世界の情勢のことも、会社が潰れてしまう仕組みもよく分かっていませんでした。ただ記憶の中におぼろげにあるのは、いつもは夜遅くに職場から帰ってくる父が、ほぼ毎日のように家にいたこと。父もなんとか現状を打破しようと必死に職を探しなんとか仕事を見つけましたが、収入は大幅にダウンしてしまいました。
一軒家も購入し、これからだというときの大黒柱の失職。これだけで僕の家族の不幸はとどまりませんでした。
そこから2.3年経った頃、同居していた祖母がくも膜下出血で入院。植物状態となり話すこともままならなくなりました。もちろんさらに家庭の収入は減り、我が家は路頭に迷う寸前まで追い詰められていきます。
そこから2年後、父の腎不全が医師から告げられます。糖尿病の合併症として現れたこの体の不具合は下半身を壊死させ、しまいには「あと10年生きられれば運が良いほうだ」と残酷な余命宣言をされてしまいます。そして、父はやむなく退職。僕の家族は地獄の底に突き落とされ、そこでほそぼそと暮らし始めました。「どんなに金がなくても、笑ってればなんとかなる」という母の言葉を信じて、僕たち家族は暗い闇の中を必死に掻き分けながら前へ進んでいったのでした。
そんな気丈な母もさすがに次第に精神を病み、僕は呆然と立ち尽くしていました。子供ながらにして何も親にしてあげられない無力さを痛感し、日々申し訳ない気持ちで過ごしていたのです。
僕の家庭の金銭事情はかなり厳しくなりました。高校は公立以外は通わせられないから失敗したら働かなくてはならない、部活動のウェアや道具は聞いたこともないようなブランドの、安物ばかりを買い与えられ周りの友人たちからは馬鹿にされていました。そして、その購入品は中学校を卒業するまで買い換えてもらえることはありませんでした。
その当時僕にできたことと言えば、最低限の家事の手伝い、角の立たないような無難な家庭内での発言や立ち回り、そして安定した職に就くこと。そのことを決意したのは無事地元の公立高校に進学できたときでした。
もうお金のことで惨めな思いをしたくない。その一心で勉強し、家から遠く離れた学費の比較的安い大学になんとか合格。地元の大学を選ばなかったのは、家庭の負担を軽減したいという思いもあったからです。
安定した職の代名詞の「公務員」。僕はこれを両親に勧められ、自分自身もなんとなくその道を歩もうと進路をある程度定めていきました。
しかし、逆にこの選択が僕を借金地獄へと誘う第一歩になるとも知らず、楽しいキャンパスライフを迎えることになります。それはまた後日書く予定の記事で語っていこうかなと思います。
勘違いしてほしくないのは、この記事で辛かった過去への同情をしてほしいだとか、そういうことを伝えたかったのではありません。このような経験をして金への執着心があったのにも関わらず、いや、執着心があったがために成人後、とんでもないことを僕はやらかしてしまったんだということを語るための布石です。
数年前の僕は金持ちが嫌いでした。とても憎んでいました。でも、今となってはその金持ちが持っている金に執着せざるを得ないのです。皮肉なものです。今回はこの辺りで。
富を軽蔑する人をあまり信用しないほうがよい。富を得ることに絶望した人間が富を軽蔑するのだ。
こういう人間が富を得ると、一番始末が悪くなる。(フランシス・ベーコン)