自力は非力
みなさんは困難にぶつかったとき、どのような行動を取るでしょうか。そのパターンは2つのうちどちらかだと思います。
自力で解決しようとするか、開き直って諦めるか。前者は頑張って努力して打ち克とうとし、後者は無理なものは無理だと割りきる。世間一般では前者が美徳とされます。頑張ったら必ず報われる。子供の頃に読まされた道徳の教科書のような決まり文句が頭に浮かんできたことでしょう。
しかし、自力に依存するのは僕は良くないと思うのです。今回は「宿命論」と「努力」についてお話ししようと思います。
◆宿命論とは?
宿命論とは、この世の中の出来事は、あらかじめ仕組まれているものであり、個人の努力で人生を変えることは不可能だとする考えです。
あなたが金持ちになりたいとして、会社を立ち上げようが玉の輿になろうが、結局貧乏である運命にあるのなら、その行動自体は全て無駄だということになります。
簡単に言えば、努力は無駄。運命に従え。ということです。
◆ボードレールの思想
この宿命論に傾倒した人物に、ボードレールという作家がいます。名前を聞いたことがある人も多いかと思います。代表作は『悪の華』という詩集。一時期この詩集がアニメ(原作は漫画)に取り上げられており、話題になりました。
彼が残した言葉のなかにこんなものがあります。
人生をあるがままに受け入れない者は、悪魔に魂を売り渡す。
この言葉からも、彼がありのままの人生を受け入れるべきだ、抗ってはいけないという宿命論を支持していたことがわかるかと思います。
◆千夜一夜物語と「宿命論」
イスラム教では世界に起こるありとあらゆる出来事は唯一神アッラーによって定められているとする、「キマスト」という概念が存在します。その「キマスト」に基づいて作られたのが、かの有名なアラビアンナイト、『千夜一夜物語』です。
あまりに有名なアラジンと魔法のランプの話ですが、これもまた「宿命論」を背景として作られたと言われると納得がいきます。よくよく考えてみると、アラジン自身はランプをたまたま手に入れただけで、本人は何もしていないし、ありとあらゆることを魔神の力、すなわち他力で解決していくのです。このようにアラジンがハッピーエンドに向かおうとするのも、また運命でしょう。
◆現代人は他者に依存している
さて、ここまで宿命論について見てきたわけですが、努力がすべてダメだといっているわけではないことを断っておきます。自力で何でも解決しようとする、すべて努力で現状を打破しようとする、そのようなことを美徳だとする姿勢に警鐘を鳴らしたいのです。
現代人は、孤独を極端に恐れています。孤独は死につながる要因だからです。ここでいう死は、生命的な意味でもそうですが、社会的、人間的な死という意味でもあります。
人は一人では生きていけないことは自明なのに、なぜか努力=自力で生き抜こうとすることが称賛されます。ギリギリまで他人の手を借りることなく頑張る。頑張っていて結果が出ないと「もっと頑張れ」と言われて、さらに自力で頑張る。その結果は、もうみなさんの知るところです。孤独死を避けた結果として、自死を選んでしまうのは無念というほかありません。
◆自力は非力
端的に言えば、自力は非力。この一言に尽きます。他人の力を借りなければ、一人では限界が見えてしまっているのです。ありきたりな言葉ですが、「協力は強力」です。もっと努力をしろ!と言われている時点で、だいたいの人は適度な努力をしているのです。あまり根を詰めず、誰かの力を借りることを躊躇しないでください。ヒト個人個人は、ひ弱なのです。
プライドが邪魔したり、固定観念に縛られたりして、なかなか自力でやることを諦めるというのは難しいかもしれませんが、行き詰まったときに、自力は非力だということを思い出してみてください。