【社会人インタビュー#14】⻑野県飯田市で「町おこし」に挑むOBの”キャリア
世の中理解塾の大水です。
今回の社会人インタビューでは、⻑野県飯田市にて男女共同参画推進コーディネーター 兼 公益型ビジネスサポーターとして活躍されている田辺大様にお話を伺いました。
今すぐに出来る「自分らしく生きる」ためのヒントがちりばめられていますので、ぜひ最後までご覧ください!
地域社会を活性化させる”結いビジネス”
⻑野県飯田市役所で「男女共同参画推進コーディネーター 兼 公益型ビジネスサポーター」として、女性の起業をはじめソーシャル・ビジネスの起業の支援を行っています。ひいては住⺠自治のお手伝いをしています。
起業支援は⺠間企業の仕事に見えるかもしれませんが、地域の課題に密着した業務です。
飯田市もじわじわと人口減少が進んでいますが、「結いビジネス」で資質のある社会起業家を増やすのが目標で、未来にむけて地域の人々が暮らしや
すい地域にするために起業支援を行っています。
当市ではソーシャル・ビジネス(公益型ビジネス)のことを、飯田らしく、「結いビジネス」という愛称で呼び始めています。
飯田市には東京のような都会にはないような人と人との繋がり(=「結い」)が色濃く残っていて、コミュニティがとても密に機能しています。
そうした「結い」を大切にしたいという思いを込めて、住⺠の方にソーシャル・ビジネスの本質を伝えるための呼び名として「結いビジネス」となりま
した。
「毛細血管」としての地方を大切にしたい
きっかけは大学4年生に遡ります。
就職活動が落ち着いた頃に北海道南⻄沖地震(1993年7月12日)が発生し、当時有志により募集されていた災害復興の学生ボランティアに参加しました。
中央大学は歴史的にボランティア活動が実は盛んで、1989年のサンフランシスコ地震でも有志の中大生たちが現地支援に飛んでいったと聞きました。
自分がずっと暮らしていた東京は日本の首都で、人体で例えるなら「心臓」、一方その時訪れた奥尻島は日本の毛細血管の一つだと言えます。
「地方は切り離してもいい」と考える人もいますが、毛細血管が弱ると心臓も弱り、身体全体の健康が失われてしまうように、そのような地方こそ大
切にすべきだとその時に感じました。
将来は飯田市や奥尻島をはじめとした「毛細血管」で新たな挑戦が生まれることが当たり前になるよう貢献したいと思っています。
今多くの人が考える「起業」のイメージは根性がある、いわば体育会系のエネルギッシュな人しか出来ないといった社会通念があり、ハードルが高いと
思います。
飯田市を含む伊那谷では移住してきた人が、少ない初期投資で地に足をつけて取り組む「#ムリしない起業」をするケースが見られます。
何かに挑戦する時に「起業」が当たり前になれば人生の選択肢が広がると思いますし、起業文化を社会に広げたいと思いながら私は日々の仕事をして
います。
戦友と共に地域のために生きる日々
今の仕事はとてもハードで地域の命運に深く関わっている実感がありますが、充実した毎日を送っています。
そのやりがいの理由は共に働く仲間が「戦友」と実感できるからです。
飯田市役所で私がいる職場は価値観を共有し、一緒に熱意をもって頑張ることが出来る「戦友」のような同僚の方々がいるからこそ、思う存分仕事がで
きると感じています。
過去にいた職場で大変だったのはチーム・ビルディングです。
職場の同僚と戦友になれず、他人の集まりという距離感だとなかなか夢を追求することは難しいと思います。
「良禽は木を択ぶ」という『三国志』の中の言葉がありますが、自分が目指すものと身を置くべき環境を天秤にかけ、自分が活きる場所を模索し続ける
ことが大切だと思います。
人生の中で生き方は変わってもいい、という軸
「主権と自治」という言葉を軸にしています。
自分は今までの人生で職場が何度か変わっているのですが、新卒で自動車メーカーに就職した後、外資系の化学系企業、外資のコンサルに転職してお
り、「実力がつく会社へ。給与が高い会社へ。」を20代のテーマとしていました。
30代のテーマは「エキサイティングな人生を送りたい」とし、外資コンサル企業であるPwCに入社して海外案件等のたくさんの挑戦をしました。
自分の可能性について認識して、自分の人生に対して自らリーダーシップを持つこと、「主権をもって自治を行うこと」が原動力だとも言えます。
飯田市発の「次の世代が暮らしやすい日本づくり」
先ほど20代はお金を稼ぐこと、30代はエキサイティングさを求めていたというお話をしましたが、40代は社会にインパクトをもたらしたいと考えて
いました。
次の50代ですが、微力でも、人類の知と行動の進歩に貢献し、次の世代が暮らしやすい日本への移行に命をかけたいです。
コロナ禍を通して東京の限界が明らかになった今、地方に魅力を感じる人も増え、価値観の転換が起こっています。
市役所でのお仕事が終わったとしても、もし飯田とのご縁が続けば、飯田と日本各地、そして海外をつなぎ、世界からも評価される働きをすることで、今後の日本と世界のために貢献したいと思っています。
自らに「奴隷解放宣言」して、世界を広げる大学生活を
私がお伝えしたいのは、学生の方が自分をぜひ大切にして頂きたいことと、それとは一見逆のようですが、自分が快適だと思える領域「コンフォート・
ゾーン」を積極的に広げていってほしいということです。
大学生活では色々なことができますが、活発に挑戦する人と、なかなか勇気が出ず消極的になってしまっている人の二極化が見受けられます。
20代は自分について考える時間をたくさんとれるので、ぜひ海外等に足を運んで自分の見分を広げることをおすすめします。
日本の教育では自由を感じにくい場面が多く、きっとカルチャー・ショックを感じるでしょう。
皆さん一人ひとりに主権というすごい力が実は宿っています。自らに「奴隷解放宣言」をして国内外の色々な場所に自由に身を置き、自分の力を発揮
できる場所を見つけてほしいなと思います。