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自己紹介

はじめまして。よんぬです。歌うことが好きで好きでたまらないOLです。
「よんぬ」は、私が音楽活動をする上で通している呼び名です。サークルの先輩がつけてくれた、大切な、私のもう一つの名前。

note「よんぬのおうた時間」について

このnoteでは、私が

・気の向くままに歌や音楽への愛を語る
・ボーカル活動で得た体験や知識
・お悩み相談もできたらいいな

そんなあれこれを発信する場所にします。

これを読んだあなたが
「悩んでいたボイストレーニングを始めてみよう」と思えたり、
すでにボーカリストとして活動をしている人は、同じ悩みを共有したり。
そんなコミュニティのような場所にできたらと思います。

私もまだまだ修行中です。プロとしての活動も目指しています。
ここに記録として書きながら、一歩一歩前に進んでいきたいと思いますので、
ご縁があってこれを読んでくださったあなたも、一緒に頑張りましょうね.

歌の紹介

この記事を書いているのは一体どの程度の技量の奴なんだ?
というあなたの疑心暗鬼を取り払うために、まずは私の今のレベルを聴いてもらえたらなと思います。
2024年8月に、個人練習用のスタジオで録音したものです。冒頭だけ。

まだまだ荒削りだなぁと個人的には反省点も多い歌唱です。笑
億以上の人間に見られるかもしれないネット上で自分の歌を晒すのは大変恥ずかしいです。
しかし歌の話をする人になりたいので、まず自分の歌を聴いていただいた方がいいよね、ということで。笑
芯のある、パワフルな女性ボーカルが好きです。
長屋晴子さん(緑黄色社会)を筆頭に、吉岡聖恵さん(いきものがかり)、TOMOOさん、Superfly、MISIAなど。

経歴・バックグラウンド

バンドボーカルとしての活動歴(人前で歌っている期間)は、約1年。
以下、よんぬの半世です。細かいので、タイトルだけでも出来事が何となくわかるようにしています。

【幼少期】ちょっとだけ音感が良い幼少期

姉が通うヤマハ音楽教室の見学に。教室に流れる音楽に思わず体が動いてしまいその場で誰よりも上手に曲に合わせてリズムを叩いて見せる。私の母は、月謝を払って習わせているのにうまくできない子達の親御さん達から冷ややかな目で見られる。見かねた母が地元のピアノ教室に放り込む。ピアノは10年くらい続く。

【児童期】宝塚にハマり、模試の偏差値が下がる

母の厚意で人生初の宝塚歌劇に連れて行ってもらう。煌びやかな世界にどっぷりハマってしまい、ベルバラ、エリザベートを自宅で熱唱し、家族を呆れさせる。
同じ頃に中学受験勉強をしていたが、記憶のメモリが宝塚に持って行かれたことで、模試の偏差値が10下がり、母に宝塚禁止令を出される。大人しく勉強モードに戻った後は偏差値10が戻り、中学受験は無事成功する。汗

【思春期】音楽と触れ合う学生生活

中学受験を終えエスカレーター式の中学高校に入学し、ミュージカルの部活に入る。6年間歌って踊りまくる。
その後大学に進学し、軽音部に入る。ここでは私より圧倒的に歌が上手い人が多いために萎縮し、ピアノを習っていたことを生かしてキーボードに徹する。ボーカルとして出演したのは片手で数えるほど。

【社会人Ph1】「自分の曲を出す」ため70万円の買い物をする

社会人2年目。ちょうど音楽生活から離れてもの寂しくなった頃。大学でボーカルとして爪痕を残せなかった後悔から、歌への未練が残っていた。
そんな時にSNSで流れてきた「応募資格は、歌を褒められた経験」という楽曲リリースサービス会社のキャッチコピーに乗っかり、曲を出すことに。費用は70万円くらい。高い買い物。正直このサービスへの不満は非常に大きいが、曲を出す過程で出会ったボイストレーナーの先生やサウンドエンジニアのお兄さんは私のボーカルとしての視野をたくさん広げてくれた。そして歌をもっと好きになった。レコーディングの時に、エンジニアさんが歌をめちゃくちゃ褒めてくれて、帰り道にずっとニヤニヤしてしまったのを覚えている。
※ちなみにリリースした曲はこちら。今と比べて歌い方が全然違う。

【社会人Ph2】長屋晴子さんに憧れボイトレを続ける

楽曲リリースの70万円メニューには基礎3回、応用3回と計6回のマンツーマンボイストレーニングレッスンが含まれていた。しかし「そんな少量のレッスンで上手く歌えるようになるわけない」とサービス側を信用していなかったので、個人的にボイストレーニングの量を増やした。曲をリリースした後も、ボイストレーニングが楽しかったので月2回で通うことを継続した。そんな中で、何となく直近でリリースしたアルバムが良かったという理由で緑黄色社会のライブに行ってみた。冒頭の長屋晴子さんのパワフルで透明な閃光のような歌声に感動し、涙が止まらなくなった私は彼女を歌の手本にした。当時は低音(ラより下)が出ず、声帯の緊張をほぐすトレーニングを中心に、スタジオや自宅で地道に練習を続けたところ、低音だけでなく高音も出るようになった。それまでは歌える曲を自分の中で制限していたが、幅広い音域やジャンルの曲にチャレンジするようになった。

【その後】サークル活動開始

とある暇な在宅勤務の日、ふと思い立ち検索エンジンで社会人軽音サークルを検索する。社会人サークルを紹介するまとめサイトで、現在所属しているサークルを見つける。一番近い日にちでライブを見学し即入部。本格的にボーカルとして人前で歌い始める。

とまあこんな感じです。
この世に生を受けて四半世紀と少しですが、その半分くらいは音楽に費やされているような人生です。

ここからスタート

私がnoteを始めたきっかけ。
それは至極単純で、沢山の人に私の歌を聴いて欲しいと思ったから。
そして私の人生を、歌を中心に形成したいから。
だから、世界に星の数ほどいる音楽人口のたった一人の私ですが
ささやかな人生の幸福のため。
そして私の幸せを通して、誰かが幸せになるきっかけのため。
私の歌や想いを綴っていきたいと思います!


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