どうせだったら長く打たれたまんまでいたい
GUNSのライブから魂が戻ってくるまでずいぶんとかかった。いまでも自分の何分の一はあのさいたまスーパーアリーナにとどまっている気がする。
やっぱりライブに行ってよかった、心からそう思える。
ツイッターのフォロワーさんとも話したけれど、そういう祝祭的な経験によって残された魂の一部が集団となってとどまっていることで「場」の力学が生まれるのかも知れない。
しかし年を取ると、こういう掛け値なしでよかった、と思えることがほとんどなくなる。世の中(人生)そうそうまるっと一つの価値に収まりきるものではないのだ。
そう考えると、若いときに熱中したものというのは得がたい喜びをもたらしてくれる。
実際生まれて来る年や場所・環境が違えば全然違うものに熱狂していた可能性は高く、そして数多あった「あんなに流行ったのにすっかり見る影もない」ものに心奪われていた可能性も高い。
だって世の中に出てくるもので、本当のマスターピースと呼べるものは本当にごく僅かなのだから。
(もちろん人によってはGUNSだってゴミ屑のようなものだということも知っている)
結局僕らは若さ故の無知と愚直さでいともたやすく商業的な渦に巻き込まれて頭を打たれてバカになっていく。それだけのことなのだ。
でもどうせであれば長く打たれたまんまでいたい。
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