初note記事
ツイッターであれこれ書いてますけど、読書以外の事(で長くなりそうなこと)などはこちらで書いてみようかなと。
読了ツイートも長くなる傾向が強いので長くなった物はこちらに。
しかし小説、読むの好きなんですけど、小説を小説たらしめている物っていったいなんなのか? その昔は小説には主題があってその主題を表現するためのもの、と言う考えがありましたが(国語教育の弊害ですね)主義主張を読むだけならこんなにも小説なんか読まないです。
遠藤周作は「小さな説しかないから我々は『小説』家なんだ」そんな風に書いていて、実際彼の作品には訴えたいことや、想いという物が強くありましたが、同時代の吉行あたりにそこまでの強いテーマ性とかを見出すのは難しい。だからといって吉行が遠藤に劣るとは思えないし、遠藤が吉行に勝るとも思わない(好みの問題はあるだろうけれど)
子供が小説、というかお話みたいな物、を書いている。完成させるところまでいっていないし、殆ど無価値な物だけれど、話を作りたい、という欲求がある、ということが面白い。
その欲求がどれだけの承認を得られるか? 時間の流れに摩耗されきらないか?
そこまで大きくなくても、欲求の発露が小説で、自分の中の無意識にせよ意識的にせよ、欲求を重ね合わせているのかも知れない。
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