初めてのヨットレース観戦ガイド
参考リンク
レース総合ガイド(英語):World Sailing
日の丸セーラーズ:日本セーリング協会
GPSトラッキング:日本セーリング協会
はじめに
実際にヨット競技をしていた人以外で、オリンピックに限らず、ヨットレースを見たことのある人はどれくらい居るでしょうか。アメリカスカップは有名なので、ネットでの中継を見たことのある人が居るかもしれませんね。しかし、オリンピックのような一度にたくさんの艇が参加するフリートレース(アメリカスカップは1対1のマッチレース)となると、かなり少ないのではないかと思います。
また、ヨットレースは海上で行われているために、中継そのものが難しいという事情もあります。これまでのオリンピックでも、断片的なレース結果と何枚かの写真を見るくらいが関の山でした。
しかし、今回は違います。毎日のように、ボート、ヘリ、ドローン、そして艇に取り付けたカメラからの映像を駆使したライブ中継が配信され、また各艇に付けたGPSの信号を使った、ライブトラッキングが準備されています。こんなに充実したオリンピックのヨットレース観戦は初めてです。
とはいえ、ヨットレースは同一コースを走る車のレースのようにひと目で順位の判断もつかず、ルールも難解で、なかなか取っつきにくいというのが実情です。多少なりとも、ヨットレースの楽しんでもらうきっかけになればと、簡単な(?)説明を試みました。
あまり分かりやすいとは言い難いかもしれませんが、お目通しの上で、ぜひ一度、中継映像とGPSライブトラッキングを並べて観戦してみてください。
セーリング競技の概要
今回のオリンピックのセーリング競技では、470級男女、レーザー級男女、49er男女、RS:X男女、Finn、Nacra17 とたくさんのクラスのレースが行われます。それぞれ1人乗り、2人乗りや、船の形状、特性が異なりますが、基本的なルールは一緒です。
各クラスとも、10〜12回のレースを行い、1位1点、2位2点と順位ごとの点数(失点)を集計。一番悪い成績をカットした合計点、上位10チームが最終のメダルレースに挑みます。メダルレースでは点数は2倍となり、すべてのレースの点数を合計して成績が決まります。明日よりメダルレースが始まります。
一発勝負ではないので、より良い成績を取ることは当然ながら、いかにミスをしないかということも重要視されます。トップは取らずとも、平均して上位でフィニッシュしたチームが、良い結果を残したりします。
レースは、各艇同時にスタートし、海上に設置したマーク(ブイ)を規定の順番に回って、フィニッシュした順番で成績が決まります。スタート、フィニッシュともに運営艇とブイを結んだ仮想のラインが設定されます。中継ではCGで線が引かれますが、もちろん選手には線は見えません。
あらかじめ決められた時刻に合わせて、各艇ともスタートラインを切ります。海上では一点にとどまることができないので、少し手前からタイミングを見計らってラインに向かいます。目測をあやまるとリコール(フライング)となり、一度ラインの手前に戻って再スタートしなければなりません。
このあたりまでの概要は、こちらの短い動画を見ると分かりやすいと思います。
ヨットは風上に向かって走る
さて、スタートをすると一斉に風上に設置された第一マークを目指します。ご存知の方も多いと思いますが、ヨットは真っ直ぐ風上には走れません。おおよそ、風上に対して45度の角度でジグザグに走っていくことになります。
これはレース海面に45度傾けて置いた方眼の中を、あみだくじのように進んでいくようなものです。どのルートを選んでも、最終的に走る距離は変わりません。ただし風向きが一定ならば…。
さて、中継を見ている方はわかると思いますが、スタート後の艇は、レース海面横幅いっぱいにバラバラに広がって風上のマークに向かいます。自動車レースなら、同じコースの前後で途中の順位がわかるのですが、ヨットレースではそれがとてもわかりにくいです。
その際に手助けとなるのが中継画面に出てくる緑および白のラインです。これは、風向きに対して直角に引かれています。つまり風上を坂の上に見立てた等高線のようなもので、同じライン上に居れば、はるか100m離れていてもイーブンな状態ということになります。
ヨットでは、風上に向かうことを「上る:Up-window」、風下に向かうことを「下る:down-window」と呼びます。風上に向かうのは等高線を横切って、坂を上っていくようなイメージです。
さて、先程同じライン上に居れば、たとえ100m離れていたとしてもイーブンだと書きました。しかし、自然現象である風は一定というわけではありません。左右に小刻みに振れたり、あるいは大きく風向きが変わることもあります。そうすると、何が起きるか、考えてみましょう。
風向きに対して、右側に日本艇、左側に英国艇が100mほど離れてイーブンな位置を走っているとします。さて、ここで風が大きく(風向きに対して)右に振れたとします。すると、先程の白いラインは右下下がりとなります。つまり、右側に居た日本艇は何もせず、英国艇に対して大きく風上に近づきます。
このときのゲインは、左右に離れているほど大きくなります。つまり艇団の端に居るほど、風の振れで大きく得をしたり、損をしたりします。結果として、大きく遅れた艇は逆転のバクチを狙って艇団の端を走り、先頭付近の艇は安全策として中央あたりを走る傾向があります。
ヨットレースの基本ルール:権利艇と非権利艇
さて、スタートした後のヨットは、海面上をそれぞれ好き勝手なコースに広がって走るので、当然他の艇とコースが交差するなどぶつかりそうになることがあります。その際には、「どちらの艇が権利艇か」ということがルールで厳密に定められています。ここでは基本的な3つのルールを説明します。
ひとつめはポート・スターボード。艇の右舷から風を受けている状態(セールは左舷側に出ている)をスターボードタック、左舷から風を受けている状態をポートタックと言います。ポートタックの艇は、スターボードタックの艇を避けなければなりません。
風上に向かい、左右からぶつかるコースで2艇が走っているとき、左から来たポート艇が右から来たスターボード艇の後ろを迂回していくシーンを見られると思います。もしも権利艇であるスターボード艇の邪魔をしたり、接触があれば、非権利艇であるポート艇にペナルティが課せられます。
ペナルティの解消は、レース中のフィニッシュまでの間に、その場で720度転回することで行われます。もちろん、大きく順位を下げます。
さて、スタートシーンを思い出してください。みな、スターボードタックでスタートを切っていました。この中に逆向きにポートタックでスタートしようとしても、非権利艇なので、全てのスターボード艇を避けていかなければなりません。なので、あのようなスタートシーンとなります。
ふたつめは、風上・風下。同一タック(同じ方向から風を受けている)で走る2艇が風下と風上に重なっている(オーバーラップしている)とき、風下艇が権利艇となります。風下艇が風上側に進路を変更するとき、風上艇はそれを邪魔してはなりません。逆に風上艇は風下側に進路変更できません。
みっつめは、クリア・アヘッド、クリア・アスターン。後ろから追いつく艇は、先を行く艇を邪魔してはいけません。
ここまでの3つの基本ルールは、この動画が分かりやすいと思います。っていうか、最初から出せよ?すみません…。
さて、加えて覚えておきたいのが、マーク回航時のルールです。マーク回航時、マークを中心とした2艇身を半径とする仮想円(2艇身サークル)に、先に入った艇が権利艇となります。非権利艇は、権利艇の回航を邪魔してはいけません。ちなみに、マークへの接触はマークタッチといってペナルティです。
スタートの中で
さてここまでで、基本的なルールはおおよそ説明できました。次に、スタートの際に何が行われているかを解説します。
まず、仮想のスタートラインですが、できるだけイーブン(風向きにたいして直角)に設定されますが、それでも風の振れなどで右端、左端どちらかが有利(風上に近い)などになることがあります。そういうときには、そちらの端が極端に混むことがあります。
目論見通り、有利な側から出られればよいのですが、混雑のためにさまざまなトラブルに巻き込まれることもあります。そのため、あえて不利側の空いている側から出るという選択肢もあります。まあ、オリンピックともなると、運営の技量が高くラインはほぼイーブンに設定されているようです。
スタートにおいては、可能な限り前の方で出たいのですが、それは単に位置取りだけの話ではありません。スタと直後の集団において少しでも後方に位置することは、他の船で乱された風を受け続けることになり、ベストのスピードを維持できずずるずる遅れていくことになります。
また、スタート直後はほぼ全艇がスターボードタックで走っています。右側の海面が有利だと思ってタック(方向転換)をしようとしても、タックした瞬間にポートタックとなってしまい、少しでも遅れていると、他の船をたくさん避けなければなりません。
逆に、タックを返して(方向転換をして)、全艇の前を横切れるとすれば、その時点でほぼトップであることを意味します。とにかく、ヨットレースでスタートはとても重要です。
タクティクス(戦術)の実例
女子470級、第6レース。フィニッシュ直前に日本チームが4位から2位に順位を挽回したシーンが面白かったので、解説してみます。トラッキングのソースは以下のリンクです。
以下の動画に解説している該当部分を抜粋しました。
レース終盤、日本は順位を上下しつつ、イギリス、ブラジルと競っています。右上のマークを反時計回りに回って、左上のフィニッシュラインに向かいます。
右から来る日本艇と交差しようとしたイギリスは、交差せずにジャイブ(方向転換)をして左に向います。交差してしまうと、次のマークで日本のアウトサイドになるのを嫌ったと思います。
イギリス艇から少し遅れている日本艇は、少し風上に登らせて、イギリス艇の風を邪魔(ブランケット)します。風は画面下から上に吹いています。この影響は大きく、このまま行けばイギリス艇は大きくスピードを落として抜かれる可能性があります。
ブランケットを嫌ったイギリス艇はジャイブして右に行かざるを得ませんでした。
日本艇は、位置関係を十分に確認した上で、ジャイブをして次のマークへ向かいます。
イギリス艇は、このまま右に伸ばしてからジャイブして、マーク付近で日本とミート(合う)しても、勝ち目はないので、やむなく手前でジャイブ。この時点で、日本艇がスターボード、イギリス艇がポートなので、日本艇が権利艇です。
イギリス艇は、日本艇の前に出れれば良かったのですが、日本艇よりもジャイブ(スピードダウンの原因)が一回多いこともあり、前に出られず。かといって、後ろに回れば勝ち目はないので、手前でジャイブします。イギリス艇が風上なので、ブランケットで日本を邪魔できる可能性があります。
しかしながら、マークへの距離が十分ではなく、オーバーラップ気味のまま2艇身サークルへ。内側に居た日本艇が権利艇となり、優先的にマークを回航。外側を大回りせざるを得なかったイギリス艇より先行します。
フィニッシュまでは短い距離なので、よほどのトラブルでもない限りは順位変動はありません。このまま日本は2位でフィニッシュしました。
このように相手をコントロールし自分を優位に持っていくように、様々なルールを駆使し、風の奪い合いをしつつ、レースを組み立てていきます。もちろん船を的確に速く走らせることが前提ですが、それだけでは勝利できません。多少なりともルールを理解してレースを観戦すると、より楽しめると思います。
レーザーラジアル級(女子)金メダリストのDNF
今日(8月1日)は、セーリング競技のレーザークラス(男子)、及びレーザーラジアルクラス(女子)のメダルレースが開催され、レーザーはオーストラリアのMatt Wearn選手が、女子はデンマークの Anne-Marie Rindom 選手が金を取りました。
デンマークのRindom選手、実は予選の最終第10レースで、あわよくばメダルレース前に金を確定しかけていたところを失格してしまいます。海上で声を上げて泣いていたシーンが印象的でした。結果としては、メダルレースでも辛くも逃げ切り、無事に金メダル獲得。それはもう、大変な喜びようでした。
…と、情報を漁っていたらこんな記事を見つけました。てっきり失格(DSQ)だと思っていた第10レース、実は失格ではなかったというのです。
第10レースのスタート時、彼女はジュリーボート(審判船)に反則を指摘されます。しかしそのスタートはゼネラルリコール(多くの船がフライング)となり、再スタート。そして2度めのスタート後、再度ジュリーボートから反則を取られます。合計2度の反則ということで、彼女は失格となったと判断し自らレースを途中離脱しました。そのままレースを続行すればDNE(除外できない失格:通常、最も悪い点数は合計から除外されるが、この失格は除外できず必ず加点される)となる恐れがあったからです。
しかしそれは勘違いでした。ゼネラルリコール・再スタートにより最初の反則はリセットされていたので、実際にはペナルティを履行してレース続行可能だったのです。彼女は、そのままレースを続ける資格があったのに、勘違いにより自らレースを中断したのでした。
確かに、成績表には失格(DSQ)ではなくDNF(スタートしたがフィニッシュしなかった)となっていたので、不思議に思っていたのですが、これで納得いきました。おそらく、コーチボートに戻った時点でそのことを指摘されたのでしょう。あの嗚咽は、失格そのものでなく、自分のそのような失態に向けてのものだったのかもしれません。
一連の行動は、一般の陸上の競技からすると不思議なことかもしれません。審判がリタイアせよと命じたわけではないのに、自らレースを離脱しているのですから。
これは、海上というすべてを審判が見て判断することのできないフィールドで行うヨットレースならではの特色のひとつです。競技者に求められるのはシーマンシップであり、失格を犯したと思えば、たとえ誰かに見咎められなくても、自らその代償(リアイアや、ペナルティの履行)を実行しなければならない、というのが原則となっているのです。失格を犯したことを自覚しながら、そのまま競技を続けることは、重大なシーマンシップ違反ということで、そのレースのみならずシリーズを通して失格となってしまう可能性があります。
とはいえ、ルールそのものは大変に複雑で、また大会ごとにローカルルールが帆走指示書で指示されたりして、実際のところ完全に頭に入れて、その場で判断することは相当に難しいことです。何しろ、こうしてオリンピック選手が勘違いを犯してしまうほどなのですから。(中継の解説者も「失格」と言っていました。)
Anne-Marie Rindom 選手、このような痛恨のミスを乗り越えての金メダルを獲得でした。こんな背景を知ると、レース後のあの喜び様も納得です。
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(気が向いたら、追加します)