見出し画像

「上位互換」の政治と説得力 - 21世紀の指導理念と中国指導者に必要な資質

11月26日から28日に中国各地で一斉に起きた反政府デモについて、遠藤誉が見事な分析を提示している。自発的な運動ではなく、背後に組織がある実態を突き止め、NED(CIA)が絡んでいる疑惑を探り当てて30日に記事に上げた。いつもながら、手を抜かず、真実を徹底して追求する遠藤誉の胆力と鋭意に感服させられる。81歳。徹夜で情報を追跡し、どういうサポートとメカニズムで「白紙運動」が起きたのかを解明し、証拠を上げ、裏で海外と繋がる組織が暗躍した事実を暴露した。秀逸なジャーナリズムだ。嘗て、こうした鮮やかな知的営為は立花隆が存分に披露してくれていた。今は誰もできる者がいない。口先だけのマスコミ芸人をジャーナリストと呼ぶようになった。

私も遠藤誉と同じで、27日夜にNHKと報ステのニュース映像を見た瞬間、これはカラー革命だと直観した。日本のテレビ報道に流された映像カットは、ロイターが編集したコンテンツだ。おそらく、ロイターも抗議市民と繋がっていて、つまりこの「革命」の共謀者なのだろう。「習近平退陣」を叫んだ絵は上海の夜の場面だけだったが、このときの絵は背後から市民の顔を隠すように撮っている。北京の夜の絵は正面から顔を撮っていて、北京の市民は「ゼロコロナの緩和」を要求するだけで、反政府デモの性格や主張はない。上海の絵は、予めロイターが構図と台詞を決め、報道映像のカットが意識され、それを抗議市民が演じていたように見えた。西側の報道とその後の世論誘導の論調 -SNSを無闇に持ち上げて自然発生性を強調 ー を見れば、典型的なカラー革命のパターンだと判断できる。

中国式民主主義のタイトロープ

が、カラー革命(CIAによる謀略)であると認識し承知した上で、この運動を否定したり一蹴したりする気にはなれない。カラー革命の勃発と危機を利用して、中国の人々には現在の政治を転換してもらいたいというのが私の立場と願望だ。四人組を追い落として鄧小平が復権した1976年の四五天安門事件の再現、すなわち流血なきマイルドな政治変革を期待する。中国共産党内の心ある者たち、特に共青団系のエリートが動いて、習近平失脚の政治へと運び、首尾よく着地させてもらいたい。共産党の統治体制を崩壊させず、PRC国家を混乱と動揺に陥らせることなく、民衆デモの力を党内の権力闘争に伝導させ、速やかに新しい指導部に編成替えする進行を希望する。

外国勢力の謀略の罠に嵌まることなく、戦略的隘路を見極め、タイトロープを慎重かつ果断に進み渡り、ベストな経過と展開で政治の成功を得てもらいたい。習近平のグロテスクな独裁には終止符を打たないといけない。3期目を固め、政治局常務委を茶坊主だらけにした習近平は、4期目のみならず終身独裁をめざすだろう。党主席に収まり、中国を北朝鮮と同じ「理想モデル」に完成させるだろう。中国の人々は北朝鮮人民と同じ存在になってしまう。中国共産党は朝鮮労働党と同じ党になる。現に半分以上そうなっている。中国の国務院は北朝鮮の国務委員会と同じになる。知性未熟な習近平皇帝の趣味と恣意で国家全般が運営されるところの、まさしく大きな西朝鮮となり果ててしまう。

非西側世界の21世紀

それは中国の人々の望む将来ではないだろうし、世界が中国に対して期待し招請する国家像でもないだろう。21世紀の世界の中で中国はどうあるべきか。今、ウクライナ戦争を契機に世界は二つに割れている。その一つは、アメリカとその同盟国を中心とする西側陣営の国々である。もう一つは、それ以外の新興国と途上国の国々である。非西側陣営の内部も多様で、アメリカに近い国々もあれば、中国・ロシアに近い一部もあり、中立の国々が多くある。今年のG20はその二つの陣営の分断がくっきりした国際政治の場となった。世界を二つの陣営に区分する方法として、1年前にバイデン政権が開催した民主主義サミットがあり、世界の諸国の約半分をアメリカが民主主義国と定義して招待、それ以外を非民主主義国として排除している。

グローバルサウスという概念も出現し、国際政治を語る場面で頻用されている。グローバルサウスは77か国あると定義されている。私が指摘したいのは、これら非西側の新興国・途上国の多くは、アメリカが主導するリベラルデモクラシーの価値観に靡いていないという点であり、自国を西側陣営に属せしめようとは思っていないという問題である。米英欧日のG7先進国が唱える「自由と民主主義」を、自らも追随すべき普遍的価値観だと認めていない。それを絶対視せず、相対視している。リベラルデモクラシーの政治思想を尊崇し帰依する態度を持っていない。そのことはとりもなおさず、アメリカに服従し追従する国作りを選んでないということを意味する。彼らは、21世紀の世界がアメリカ一強支配で続くと思っておらず、それを望んでもいない。

上位互換としての社会主義

その姿が現実世界の前提であり与件であるとして、中国はどういう展望と指針で臨むべきか。当然、非西側の諸国は中国に期待し、GDP世界第2位の中国に21世紀の世界を新しい姿に変えていく主体となることを求めるだろう。G7先進国が主導する従来の世界ではなく、アジア・アフリカ・中南米の国々の地位が上がり、その文化と伝統が正しく認められ、彼らの意思が国際政治により反映するところの、新しい価値体系の世界になる将来を求め、中国にその推進役を期待するだろう。中国はその期待に応えなくてはいけないし、非西側諸国を束ねる国にならないといけない。中国に必要なのは、G7先進国のリベラルデモクラシーを相対化する指導理念である。そして、その理念を語って世界を説得する指導者である。

新しい指導理念とは何か。それは「上位互換としての社会主義」だ。昨年、記事2本書いた。「上位互換」だから、リベラルデモクラシーの理念的な中身はすべて包摂していなければならない。そもそも、社会主義は思想としてリベラルデモクラシーの後に歴史に登場しているのだから、社会主義がリベラルデモクラシーの達成と所産を引き継ぐのは当然という位置づけになる。USB4.0の仕様がUSB3.0の資産をすべて利用可能であるように。この本質論は志位和夫が述べているとおりで、一般論だが理念の説明として正論である。日本共産党の政策体系は自由民主党のそれを上位互換的に包摂している。中国共産党の社会主義にはその契機がなく、非互換な独自仕様が貫徹されていて、どれほど中国共産党が正当性を言い張っても、世界に対して説得力がない。

価値観のチャレンジとリプレイス

中国は、経済については上位互換のシステムを追求し、構築を試み、成功を見てきた。政治のシステムについても、何も模索がなかったわけではなく、胡錦濤の「科学的社会主義」の看板は、多少の互換性獲得へのアプローチを匂わせていた。当時の中国共産党の姿勢を代弁するスポークスマン役だった朱建栄は、中国共産党が自民党のような政党をめざす将来像を語り、すなわち、内部に複数の派閥を抱えて政策競争する図を示唆していた。経済システムを模倣・導入して成功したように、政治も日本型のシステムを採り入れる方向性が論議・発案されていたと考えられる。20年ほど前の話だ。胡錦濤は「科学的」という言葉を使いながら「上位互換」の地平を慎重に探っていた、と私は推測する。が、それは断たれた。朱建栄も、習近平体制によって厳しい粛清を受けた一人である。

いずれにせよ、中国が今の政治システムの殻を破って、そうした「上位互換」の方向性に進まなければいけないのは必然で、その道を選ばないと中国は破綻し自滅してしまう。中国に求められているのは、リベラルデモクラシーをリプレイスする普遍的理念を掲げ、世界に訴求し、アメリカ・西側と理念競争することである。価値観の挑戦をすることだ。その理念が、格差と貧困の新自由主義の矛盾を克服し、気候変動環境問題を解決に導き、人種差別のない世界を作るのだということを言挙げし、具体的政策を提示し実践しないといけない。非西側の多くの諸国はそれを期待しているだろうし、中国がイデーの挑戦に出て、政治思想的能力を証明し、ソフトパワーの実力を発揮したとき、アメリカに代わって標準ルールを作る21世紀のリーダーだと認めるだろう。

中南米とアフリカの潮流

社会主義について、日本のマスコミとアカデミーと一般世論は、それを古臭い時代遅れのものとレッテル貼りし、ひたすら不当視して貶め卑しめている。社会主義を語ることに価値と意味を認めない。だが、果たして世界の政治の情勢と傾向は日本と同じだろうか。世界は日本と同じ(反共親米が極まった)イデオロギー状況と言えるだろうか。今年、コロンビアで史上初の左派政権が誕生した。画期的な出来事である。きわめて意義の大きな歴史的快挙で、コロンビアの長い過酷な歩みを知る者には感無量の思いを禁じ得ない。62歳の新大統領は左翼ゲリラ出身であり、投獄された過去を持つ。昨年から今年にかけて、チリ、ペルー、ホンジュラス、コロンビア、ブラジルと、中南米で5か国が左派政権に変わった。チリの36歳の新大統領は学生運動のリーダーだった。ペルーの新大統領は急進左派の元教師。

今年前半の国連総会での対ロシア非難決議の諸場面で、アフリカ諸国の多くは棄権の立場をとり続けた。NHKが現地取材してその理由を報道していたが、要するに、旧ソビエトがANC(アフリカ民族会議)による反アパルトヘイト闘争を支持してきた歴史的経緯があり、ANCの指導層にロシアに対する恩義の意識が根強いからだと説明されている。マンデラを信奉するANC青年同盟の幹部は、プーチンを高く評価する言葉を堂々と発し、強い反欧米感情を隠さない。国連総会の投票で棄権している国々は、嘗ては国旗に赤い星を入れ、憲法に人民民主主義制を謳っていた国が多い。ソ連崩壊後に国旗から赤い星は消えたが、思想的な下地と残影はなおバイタルで、経済でも中国との結びつきが強い。欧米はアフリカを切り崩すことができず、リベラルデモクラシーの信者(日本のようなマインドコントロール奴隷)にすることができない。

習近平に替わる指導者と求められる資質

中国が掲げるべき新しい指導理念は、社会主義をベースにしたものが適当だと思うが、その中身を埋める政治学の作業は今後も続けるとして、具体的に新しい指導者について述べたい。前回は、天安門の肖像画をこうするべきという提案を出した。習近平を退陣させるとして、国家主席として相応しい人物はいるのか。私は4人の名前を挙げたい。王毅、華春蛍、汪文斌、劉鶴である。王毅は69歳、劉鶴は70歳の高齢であり、適格と言えるかどうか不安だが、要するにここで強調したいのは、彼らには「上位互換」の資質があるということである。直截に言えば、英語の堪能な人間を指導者にしなければいけない。英語の能力、これこそ「上位互換」のリーダーに求められる資質だ。劉鶴の英語力と交渉力は、天木直人氏が誉めていた。王毅は英語と日本語の両方ができる。汪文斌はルックスがよく人柄もよさそうだ。

北京にも優秀な人物はいる。習近平のような愚物に人格を支配され、見ていて気の毒になる。何でこんな男が皇帝のように威張って君臨していて、知能優秀であるはずの全員が忖度奴隷をさせられ、惨めに這い蹲っているのだろう。くだらない悪性の中国史を繰り返して自滅に向かっている。魯迅が見たら何と言うだろうか。この10年の暗鬱な中国政治を見ながら、あらためて鄧小平の偉大さを思わされ、政治家は革命家でなければならないことを痛感させられる。鄧小平はいつも命がけで闘っていた。毎日、命のやり取りをする死線上にいた。胡錦濤にはそれがなく、混乱を恐れて引いてしまうエリートだった。やさしすぎた。鄧小平が指名した俊秀で、百点満点に近い男だったが、鄧小平のように権力闘争で敵に噛みつく勇敢さがなかった。江沢民と習近平を排除すべきだったのだ。


いいなと思ったら応援しよう!