ブラック企業じゃなくても、死にたくなることはある
昨年末、会社を退職した。
次の仕事は、まだ決まっていない。
この状況下で、大した経験や実績があるわけでもなく、30代後半で、自ら望んでニートになる。
それはたぶん、人の目には愚かな行為として映るのだろうと思う。
退職した勤め先では、残業時間は規定時間を超過しないようチェックされており、人間関係は良好。
このコロナ禍でも仕事が減ることはなく、在宅勤務が全面的に許可され、冬のボーナスは満額支給。
ブラック企業どころか、むしろ、環境としては非常に恵まれていた。
それはとてもありがたいことだったと、心から思っている。
それでも、辞めるしかないというのが私の選択だった。
最初にお伝えしておくが、これは、自身の経験を通して何らかのアドバイスや提言をしたくて書き綴っているものではない。
私が感じたことについて、ただ、徒然に書き残そうとするものである。
それでもお付き合いくださるという方がもしいらっしゃれば、この先を読み進めていただければと思う。
2019年の秋に部署異動があり、まったく経験のないプロモーションの業務を担当することになった。
業務に関するごく基礎的なことについて一通りレクチャーを受けてから、担当業務の引き継ぎに入った。
私の前任者も、その業務を初めてまだ半年ほどで、「私もまだ全然よくわかってなくて・・・これでいいのかなって感じでやってます」と言いながら、それでも丁寧に業務を引き継いでくれた。
初めて耳にするワードや数字の羅列に戸惑いつつ、私もそのときは新しい仕事を覚えることに必死だったし、「これからがんばろう」という思いもあった。
1ヶ月ほどの引き継ぎ期間を経て、なんとかひとりで仕事を回せるようになってからは、自分の知識が圧倒的に不足していることを痛感する日々だった。
異動前の面談でも、「データを見ながらロジカルに進めていく仕事」と聞いていた。
経験不足をすぐに埋めることはできないが、業務遂行に必要な基本的なロジックすらまったく足りていないと感じていた私は、折に触れ、課長に「基本的な考え方やデータの見方などを知りたい」と申し伝えていた。
しかし、なかなかそういった機会もないまま時は過ぎていき、あるときチームの定例会で、私はぽつりとこぼしてしまった。
「知識がなさすぎて、自分のやっている仕事に自信が持てない。もっと基本的なことを学びたい」と。
その要望は、主任から返ってきた答えに一蹴された。
「まぁ、ケースバイケースだから。個人でがんばるしかないね」
もちろん、商材によって見るべき指標等がある程度変わってくることは理解できる。
ケースバイケースというのであれば、もう少し個々のケースに沿って一緒に考えたりアドバイスをもらえるような形にしてほしいと伝えたが、「わからないことがあれば遠慮なくいつでも相談してくれていいから」とのことだった。
わからないことは、相談できる。
ただ、私のレベルでは、何がわかっていないのかがわからない。
注力すべき点や改善すべき点を見落としている可能性があるから、それを見つけるための知識や視点を与えてほしかった。
そんなものは、存在しなかったのかもしれない。
ひとつひとつ、ひたすら経験を積んでいくことでしか解決できないことだったのかもしれない。
でも、私はつらかった。
今までいろんな仕事に携わってきて、どんな仕事も、一生懸命にやれば何かしら楽しさややりがいは見つけられるものと思っていた。
それなのに、毎日自分なりにがんばって仕事に取り組んでいるはずなのに、何ひとつ楽しいと思えなかった。
自分でプロモーションプランを組み、実践し、数値が改善していくことが、きっとその仕事の醍醐味だったのだと思う。
それをおもしろがれなかったということは、きっと、もともと私には不向きな仕事だったのだろう。
でも、まだ異動してから1年も経っていない。
投げ出すには早すぎる。
任せてもらった仕事を、役割を、きちんと全うしたかった。
プロモーションの結果や状況については随時、商材の開発チームに報告し、さらに毎月予算の承認を得るために、部長にプレゼンを行う必要がある。
わからなくてもわからないなりに、どうにかこうにか、もっともらしく見えるよう取り繕って説明しなければならない。
でもそれは、根拠に基づいたものではない。
私にとってそれは「はりぼて」にすぎなかった。
その場しのぎ、行き当たりばったりのペラペラな理論武装。
もちろん、ビジネスにおいてはそれをうまく使うことが必要なときもある。
自分のやりたいことを実現するためのはりぼてならよかった。
最初ははりぼてでも、少しずつきちんと肉付けができるようになっていくのならよかった。
でも、そうではなかった。
プロモーション担当として役に立てていないという思いは、募るばかりだった。
「仕事ができていると思えない」「役に立っていると思えない」と課長にもたびたび相談したが、「そんなことないと思うよ」と返されるだけだった。
その言葉は、私にとっては「上手にはりぼてを作ることができている」という意味合いでしかなかった。
課長は、私が必死に作り上げたはりぼてを披露するところしか見ていないから。
「できている」ように見えることを「できていない」と私が感じていることが問題なのではないのかとも思ったが、もうそれを訴えるだけの気力は失せていた。
毎日、手を抜かずに、真摯に、仕事に向き合っているつもりなのに。
やりがいを感じることができなかった。
成長できていると思えなかった。
はりぼてがいつ突き崩されるのか、いつも不安で苦しかった。
自分の存在意義が、わからなかった。
毎日仕事をしながら、「死にたい」と思うようになった。
PCに向かいながら、涙があふれてきた。
泣きながら仕事をしても、在宅勤務だから、誰に見られることもない。
それが、せめてもの救いだった。
仕事を辞めるという選択肢は、自然と頭に浮かんでいた。
でも、もっと経験を積めば、この状況ももう少し改善するのかもしれない。
もう少し我慢して、続けるべきなのかもしれない。
恵まれた環境で変わらず仕事ができているこの状況を、自ら手放すなんて。
仕事を辞めた方がよいと思いつつも、決心しきれず迷っている自分がいた。
あるとき、確認を依頼していた定例会用の資料について、主任からフィードバックが送られてきた。
それはいつものことだったし、そのフィードバックはもっともな内容だった。
内容の確認と、一部追記を促すだけのものだ。
それなのに。
私は突然、耐えきれなくなってしまった。
私は嗚咽しながらキッチンへ向かい、包丁を手にしていた。
死んでしまいたい。死んでしまいたい。
包丁を握りしめたまま座り込み、しばらく泣き続けた。
大袈裟だと思われるかもしれない。
包丁を実際に自分の体に突き刺したわけではないのだから。
でも、私は思った。
いつか本当に、この包丁で自分を刺すときが来るかもしれない。
安物の包丁だから、きっとうまくは刺さらないだろう。
痛いのは、嫌だ。
なるべく痛くなくて、まわりに迷惑をかけずに死ぬ方法は何だろう。
そんなことを、毎日考えるようになった。
それくらい、死は私に近いものになっていた。
そのころには、もう仕事を辞めようと決めていた。
自分の職歴や年齢、世の中の状況を考えたら、次の仕事を見つけるのは簡単なことではないだろう。
なけなしの貯金が尽きたら、生活ができなくなる。
そうなったら、死のうと思った。
このまま仕事を続けていたら、私は死ぬだろう。
どうせ自殺するなら、自分で死ぬタイミングを選びたい。
きちんと死ぬための準備をして、「私は幸せだった」と思って死にたい。
そう思ったから。
仕事を辞めてしばらくのんびり過ごしてみて、だいぶ病んでいたなと我ながら思う。
次の仕事が見つからなければ、やっぱり死ぬしかないのかなとは今も思っている。でも、少なくとも「死にたい」とは思わなくなった。
当たり前のことなのかもしれないけれど、「生きるために仕事をしているのに、仕事のせいで死ぬなんて本末転倒だな」と今回のことで気づいたし、死にたくなるような仕事に一生懸命向き合うより、もっと自分を幸せにするために時間を使う方が、きっと有益だと思う。
「生きていたい」と思えるようになっただけでも、私にとってこの退職は価値のある決断だったと、今は考えている。
いつか自ら死を選ぶときがきても、私はこの決断を後悔しないだろう。
できれば死ななくてすむように、なんとかがんばってみるつもりだ。
私のこの経験が、誰かにとって何か少しでも力になるようなことがあれば、とてもうれしく思う。
まとまりのない長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。