シュレティンガーを救え
シュレティンガーの猫の話が嫌いなのは、そこに猫が出てくるからだ。
あの話は猫好きのぼくからしたら最低のストーリーだ。箱の中に閉じ込められた猫の生死について語る博士に異常な愛情すら無く、ただひたすらに思考実験に自分を閉じ込めて夢中になってる。
けど、見えない何かを信じるより、可能性を論じるほうが楽しいのは分かる。
それに僕も、心を鬼にして箱の中にいる猫が死ぬか生きるかについて論じるなら、きっと箱の中の猫が突然消えてしまう可能性だって考えてしまう。でも、考えはしても、すぐにその考えを打ち消してしまう。そして信じる。猫はいる。それも生きている。それでも思考実験がしたいなら、ぼくは自分の脳を取り出してプールに浮かべ、電極につなげるほうを選ぶ。
たかが思考実験にここまで目くじらを立てているのは、例え想像の中であれ、箱の中の猫がもし死んでいたら、僕は間違いなくこの思考実験を思いついた人間をひどい目にあわせるからだ。オーストラリアの動物愛護団体よりでかいボートに乗って、発煙筒を持ち、雄たけびを上げ、これを思いついた博士を拉致し、ラジウムからでたアルファ粒子でガイガーカウンターを動かすなんてこざかしいまねはせず、僕のこの手で、直接青酸ガスを注入する。
だから、クールな頭をお持ちなら貴方には、ぜひともそのやってもらいたい思考実験がある。
想像してほしい。目の前の大きな箱の中には放射性ラジウム、そしてガイガーカウンターによって作動する青酸カリの装置がついている。そこに猫とシュレティンガーを放り込むんだ。ただ、箱に入れるだけじゃない。シュレティンガーはまず間違いなく箱から脱出を試みるだろう。だからやつの手に手枷をはめ、足かせをする。猫にはいらない。だからはじめから箱に入れられたんだ。
そして、君には箱をあけるチャンスもある。
もちろん出来る。なんせ、はじめからあの思考実験には「破壊不可能」なんて言葉は登場しないんだ。なんせ猫を入れるだけなんだから。
その結果、シュレティンガーと猫が生きている確率を考えてほしい。いい結果を願うが、悪い結果が出ることもある。けれど、この思考実験のほうが、よほど有意義な頭の使い方が出来ると思ってる。
僕がいつも思うのは、思考が導きたいのは可能性じゃなくて、望んだ結論だってことだ。
解き明かせば消えてしまう、そういうものが僕らから、そして猫を残酷な思考の箱から遠ざける。そして最後には、僕からあのシュレティンガーをも救うことが出来るだろう