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やがて哀しき年賀状

…というタイトルで誰かがすでに文章を書いているかと思ってググってみましたが、出てこなかったです。もちろん、村上春樹『やがて哀しき外国語』のモジりです。ほぼ言ってみたかっただけで、モジっているわりに悲哀めいたものはそんなにないです。

さて、ここ数年来は来たものに返すというパターンで対応してきた年賀状ですが、独立開業した今年も結局来たものに返すという方式にしました。

その結果、今日もいつものように早起きし、空気が凍てつく未明の朝にコンビニに行って、最近よく見る技能実習生であろうレジ打ちの店員に、心の中で「正月2日の朝早くから働いててえらいなぁ」と思いつつ、年賀はがきを買ってきたのであります。

で、個人あてに来たものは妻がそうしたように家族写真を印刷したものに一言手書きで添え、事務所あてに来たものは、印刷されたものを買って一言手書きで添え、書き終えたところです。

無意味な押印文化廃止の流れがある中に加え、なんでもかんでもSDGsということにしておけば理由になるという風潮で、年賀状についても廃止しようとする動きが世の中にあります。自分も、この流れに抗うものではありません。

とくに、わりと頻繁に会う相手に、単に印刷したものを送るというものは、儀礼的ここに極まれり、といった感じです。なので、やめだやめ、となって然るべき。SDGsとはなんて便利Wordなのでしょう。

一方、自分には家族がいるというのもあり、家族写真の年賀状が来るのは、人によってはイヤなのかもしれませんが、自分は結構歓迎です。

世はSNSが一般的になって久しいものの、そういったものをやっていない同年代もいるわけです。そんな人から年に一度でも近況報告があるというのは、悪くないものです。自分は、なんだかんだとnoteを始めてから毎日こうして文章書いて世界中に公開しているわけですが。

ということで、せっかく書くなら一言添えて、でもこの人にはなんて書こうかとペンが止まることもありつつという自分の正月動作が繰り返されるのでした。こどもが大きくなるまではしばらく続くんだろうなぁ…

そういえば、あまり年が改まって決意を新たにするということはあまりないのですが、手書きでメッセージを書くといつも「今年こそボールペン字をちゃんとやろう」と思います。でも、思うだけ。いやそれじゃダメだ、早速今からでも…
今日はこれから出かけるから、また明日からかな…

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