印鑑 ~日経新聞 こころの玉手箱風エッセイ~
リモートワークが当たり前の世で時代はハンコレス社会となった。以前から認印についてはその意味がないと考えていたので、基本的には歓迎している。ではあるが、印があることによって文書とそこに表示された内容の真実性を担保できるという機能は、なかなか便利なものである。署名で足りるかもしれないが、それと印鑑が合わさってやはり文書が完成する気がする。
2022年においてまだ意味を持つ印鑑は、銀行印と実印であろう。あと、自分の場合は、職印というものもある。職印はまだ作っていないが、ないとやはり格好がつかないので何かきちんとしたものを作りたいと思う。
自分が初めてまともに印鑑を作ったのが、大学院生時代に交通事故を起こした際である。怪我は軽かったが人身事故を起こしてしまい、示談に必要だということで、街の印鑑店で作ってもらった。姓が変わっても対応できるよう、名前のみを彫ってもらった。しばらくそれを銀行印にしていたが、時が経つにつれて縁が欠けてしまい、ついに銀行印を改めることになった。
いま、使っている銀行印は、そこらのネット通販で買ったものである。確か柘植のもので、若干ケチった。使うことはそれほど多くないが、口座振替手続きには必要となってくる。朱肉のノリとキレがイマイチで、ケチらずにもう少しいいものを買えばよかったと思っている。
実印は、大学院の卒業記念として学校から貰ったものである。フルネームが彫られているチタン製の重厚なもので、アタリと呼ばれるものはなく、いかにも実印という風情がする。フルネームなので結婚して姓が変わったら使えなくなるのではないかと思ったが、夫婦の話し合いの結果結婚後も自分の姓となったので、当初の学校側の目論見通り実印として使っている。実印なので、これまでの人生で押す機会は、数えられるぐらいしかないが。
ちなみに、二つの印鑑の脇にある群青色をしたモノは、高校の卒業記念として学校からもらった印鑑入れである。いま、まったく活用されていないが、職印を作ったらこれに入れておけばいいと思っている。