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自叙伝「#車いすの暴れん坊」#15 土建会社就職

そしてこの産業開発青年隊を卒業し、伯父の会社に就職することになった。この伯父の会社は、あさひ産業株式会社という会社だった。

建設業でいうクラスのAクラスで、昔は現場監督と作業員もたくさんいたが、そのときは作業員10名くらい、あとは現場監督が8名くらいの会社だった。

当然、なにも分からない俺は、先輩の現場監督 について行って、現場監督の補助をしたり、スコップやつるはしを持って作業したり、ユンボに乗ったり、ブルドーザーに乗ったり、ダイナマイトをかけて岩を壊したり、そういう仕事をしていた。

宮崎県の延岡というところに会社があったのだが、そこの延岡の鶴ヶ岡という地区は、もともと山であったものを、あさひ産業が買い取って造成し、宅地にしていた。

そこの一区画を俺が現場監督として任されて、道路を作ったり宅地を作ったりした。

今でもそこを通ると、俺がやったんだよなと、懐かしく思い出す。土木の現場監督にしろ、建設の現場監督にしろ、楽しいというか、造った物がいつまでも形になって残っているというのはすごく嬉しいことだ。まあ芸術家の作品とは違うが、自分が作った作品がそこにあるようなもので、なんとも気持ちがいいものだ。

中にはとんでもない現場を担当したこともある。宮崎の山奥だったが、崖が90度どころか、覆いかぶさっているようなところに走っている細い県道を拡張するという工 事だった。

山の上からどんどんノリを削って道を広げるのだが、被っている崖なので、削れば削るほど、足場が狭くなるという恐ろしい現場だった。そこの工事には3つの事業所が入っていて、50メートル間隔で区割りをされていた。

うちの会社は一番右、そしてA社、B社が真ん中と一番左であった。一般的な道路じゃないので交通規制をかけて、その間に岩を砕きながら下の道路のところに落とし、それをユンボでトラックに積み込んで出していく。

30分毎の時間規制なのだが、うちの会社ともうひとつの会社で両端に警備員を立て、片側ずつ車を通して行く。当然時間がくると車をストップするのだが、一度大事故が起こってしまった。

それは車を止めていないときに、真ん中の会社が石を上から落としてしまい、下を走っている車に直撃。見た瞬間にこれ は死んだなと思った。何百キロもあるような石が運転席を押し潰すように落ちたのだ。

幸い死亡事故にはならず、怪我で済んだのだが、一歩間違うと死亡事故になっていた。現場での一切の責任を背負っている監督としては、生きた心地がしなかった。

俺自身 も車両を通行止めにするぎりぎりのときに、トラックで道を渡ろうとして、上から石 が落ちて来て、車体の横に石がぶつかったことがある。

隣の現場と大喧嘩になったが、建設現場、土木現場はちょっとしたことで、大事故に繋がることがある。こんな具合 で、現場監督中には何度か怖い思いをしたことがあった。

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ユニバーサル別府


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