見出し画像

自叙伝「#車いすの暴れん坊」#22 ルールへの抵抗

国立重度障害者センターには、農協リハから行った人も何人かいて、頸椎損傷の障害者もたくさんいた。

重度の障害者も多く、初めに入った部屋は1寮という一番重度の人とか、入所したばかりの人が入るようなところだった。俺も夕方の7時にはベッドに上げられて、部屋は4人部屋、備え付けテレビが一台あった。

訓練はOT、PT、ADLと3つあり、OTではパソコンでワープロを打つ練習をしたり、パソコンでゲームをして遊んでいた。

当時、ノートパソコンでOSはウインドウズ98、ディスプレイが白黒で15万円もした時代だ。

OTではよく文章の作成をした。それは自分たちが使う集尿器が使いにくかったので、それをOTの先生に頼んで改造してもらっていたのだが、毎回作ってもらうのがとっ ても面倒くさいし、お金もかかる。

それで簡単に自分たちで開閉できる集尿器を考案 し販売したら儲かるだろうなと思い、その実用新案の書類を書くのにOTのパソコン でワープロを習いながら打っていた。

PTでは、起立台とストレッチ、後は軽い筋力訓練、もう重度センターに来た頃には、ほとんど自分の身の回りのことはできていたので、まああまり真剣にリハビリをしたという記憶はない。ADLでは、トイレから車いすに移る訓練をやっていた。これがいまひとつ不安な部分であった。

そして訓練が終わると、食事をして、それから宅建の勉強をするわけだ。そこでルールを決めた。毎日1時間半の勉強をする。勉強をちゃんと1時間半した後には、友達とお酒を飲んでいい。

しかしそれは、自分の勝手なルールで、その頃の重度障害者センターは、飲酒は禁止であった。唯一飲めるのは友達の誕生日くらいか、それもちゃんと申請をして、量も缶ビール1本と決まっていた。

しかしこのルールで勉強がすごく捗った。なにしろ酒を飲んで皆と遊びたい。だったら勉強するしかない。

重度センターに入った頃は27歳。学生時代と違い、かなり記憶力が怪しい。前の日に勉強したこと を忘れる。半分は忘れていたんじゃないかな。だから繰り返す。

宅建の試験まで半年しかな かった。毎日1時間半勉強しては酒を飲む、そういう生活を毎日続けた。しかし、その独自の勉強法が功を奏したのか、合格率20数%という宅建の試験に見事に合格することができた。

早速、農協リハに行って、お前は酒をやめんと絶対通らんと言った職員に、俺は毎日酒を飲んだけど、ちゃんと通ったよと自慢しに行ってやった。

重度センターは、俺が入った頃、ほとんど誰もお酒は飲んでいなかった。もちろん誕生日会とかいうのは別として、毎日飲んでいるような奴はいなかった。それも当然だ。禁止されているわけだから。

まあ俺が入所する少し前に酒を飲んで大暴れをした奴がいて、それから厳しくなって飲み事を自粛したということだった。

しかし俺は重度センターに行ったら、お酒が飲めるというのが大きな楽しみのひとつだった。人間、野望や欲望がないと頑張れない。そのためにも酒を飲んで楽しむことは必要だろう。

ましてや1か月だけの入院とかではない。何年もそこの施設にいて訓練するわけだ。余暇の時間、ストレス解消する時間も当然必要だと思う。

それがなんと今では、重度センターにはラウンジがあり、夕方、好きなときにビールや焼酎が飲める。

ただ、あのときは逆に飲めなかったことが功を奏したのかも知れない。当然、おおっぴらに飲めないから、外泊をとったり、夜中に抜け出したりして街に出るわけだ。

しかし街中にはトイレもない。まだバリアフリーなんて言葉すら世の中に出ていなかった頃、俺たちは必死に自分たちが遊べる場所、飲みに行ける場所を探した。そうやって自分で楽しみを見つけていった。

ただ今はどうだろう。もちろん外出して飲みに行く連中もいるが、基本的に重度センターの中で、お酒が飲めるのであれば、苦労して外に出なくてもいいわけだ。

だからだろうか。今、重度センターの入所者を見てみても元気が足りない。もっと街に出て楽しむことを覚えてほしい。

話は逸れたが、そうやって入ってから徐々に友達たちと32号室で夕方酒盛りをするようになった。晩飯が終わって看護師さんがまわって来る7時までの間、乾き物を準備したり、手のいい仲間にベビーハムを焼いてもらったりして、ビールや焼酎を飲んだ。

焼酎は知り合いに頼んで、スプライトの瓶とかに入れてきてもらう。そうすれば持ってきても焼酎とバレない。

しかし飲んでいると大体、潰れる人間がいる。俺は結構強い方で、べろんべろんになることはなかったが、それでも匂いはぷんぷんしていたし、よく顔も赤いと言われた。だがそういうときには、ちょっと今日は日射しがきつかったので日焼けしただの、冗談交じりの受け答えで誤魔化していた。

一度、ロッカーから、焼酎の空き瓶がごっそりなくなっていたことがあった。うわ、絶対にこれは誰かに見つかったなと思っていたのだが、なかなか言ってこない。

もし かしたら仲の良い保母さんが捨ててくれたのかなと思っていたのだが、それから何日かして指導課から呼び出しがきて、
「お前らのロッカーから焼酎の瓶が出てきた。お前らが飲んだんだろう」
「いや自分たちは飲んでません」
「だってお前ら3人しかいないんだから、3人誰かが飲んだ以外考えられないだろう」
「いえ、本当に自分たちは飲んでいません。部屋には鍵をかけるようになっていなかったので、自分たちがいない間に誰かが持ってきて、置いたかも知れない」
と、嘘をつき通した。

まあ今思うと指導課の先生には悪いことをしたなと思うけど、酒が見つかると退所になる。そこはシラを切り通すしかなかった。

寮内ではよく喧嘩も起きていた。まあ年齢も近い者同士が生活を共にしているわけで、彼女の取り合いだの、あいつがなにか言った言わんだの、結構、派閥みたいなものもあって、賑やかにいろんな青春ドラマが繰り広げられていた。

YouTubeチャンネル↓

ユニバーサル別府


いいなと思ったら応援しよう!