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自叙伝「#車いすの暴れん坊」#20 不良リハビリと宅建の取得

また、1階の職業訓練の施設には、訓練が一通り終わって、自分で自分の身の回り のことができる先輩の障害者がたくさんいた。バイクや車でムチャをして車いすにな った若者が多く、すぐに仲良くなった。

そして、こっそり夕方1階に遊びに行って一 緒に酒を酌み交わす。その中で施設での規則外の処世術のレクチャーを受ける。

こう いう車いすが格好いいし乗りやすいとか、外泊の活用の仕方、夜中に別府の街への繰 り出し方とかを真剣に学ぶ。

学んだら即、実践である。外泊をとって一緒に飲んで回り、パチンコをし、焼き鳥を食べ、スナックを巡る。

中でも、リンリンというスナックが あって、ママさんも気さくな良い人で、昼間、送別会や誕生会に格好つけては店を開 けてもらって、酒を飲みながらカラオケをした。

可愛い中学生の娘もときどき、手伝いに来てくれるのも楽しみのひとつだった。あのとき、外に出てパチンコしたことや、夜、酒を飲みに行っていたことが、リハビリを頑張ろうという原動力になっていたような気がする。

早くひとりでできるようになって遊びまわりたい。付添いさんがいない状態でひとりで行きたい。そう思って毎日努力をした。

身体が大きかったのと、残っている機能が少なかったこともあり、自分ひとりで大体できるようになるまでに3年半かかった。

そして3年半経った頃、1階の職業訓練に行くか、国立の重度センターに行くかを選ばなくてはならない日が来た。

1階の職業訓練では皮細工やちょっとした事務、あとは園芸などしていたが、重度の障害者である自分ができることは限られていた。皮細工も嫌いではなかったが、皮細工で食っていけるとは思えなかった。

その頃、親戚の伯父さん連中の多くは不動産会社を開業していた。宅地建物取扱主任、通称宅建を取ると仕事に就けるといって勧められた。

通信教育のテキストを取り寄せてみると、それは専門用語や法律用語でいっぱいだった。難解で一瞬、怯みそうになったが、これを取って職につけるなら頑張るしかないと思い、1階の職業訓練ではなく、国立重度障害者センターに行くことに決めた。

国立重度障害者センターであれば、宅建の勉強をする時間がたくさんとれると思ったからである。

重度センターに行くと決めたことを、1階の職員に話すと、「なんか米倉、お前、1階に降りるのが大変やけん重度センターに逃げるんか」と、言われた。
「いや俺は1階に降りてもなにもすることがないから重度センターに行って宅建の免許を取る。そのために重度センターに行く」
「お前みたいに毎日、酒ばっかり飲みよったら、宅建なんか受かるはずがない。宅建を真剣に受けようと思うんなら酒は止めんと無理だろうね」
と、鼻で笑われた。そんときに絶対に受かってこいつを見返してやろうと堅く誓った。 

1階の職業訓練施設に新しく若い障害者が入ってきた。福岡から来た元暴走族であるという。歳は同じ歳。現役時代に見たことはなかったが、名前は聞いたことがある暴走族だった。

なにも車いすになってまで喧嘩する必要はなかったが、やはりそこはまだ若い者同士。酒を飲みながら話していると、お互いの現役時代の話となった。

お互いに自分が入っていたチームにはプライドがある。なにがきっかけになったか分からないが、そこで大喧嘩になり、動かない手で殴り合うことになってしまった。

まわ りの先輩たちに止められて事なきを得たが、結局、そいつとはそいつが退所するまで、決して仲が良いという間柄にはなれなかった。

しかし、お互いに一目を置き、酒を交 わす程度にはなっていた。その後、福岡に帰ったと聞いたが、未だ消息は知れない。

ひとつ上に憧れの先輩もいた。状態も似ていたのだが、よく飲みにも行っていた。その先輩に早く追いつきたくて、リハビリを頑張った。

こんな感じで、楽しいことを探すこと、楽しみを実現させること、人との出会い、そんな一つひとつが皆、リハビリに繋がっていたのだと思う。

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ユニバーサル別府


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