ギャンブル依存性6(最終回)
メリークリスマスもなく、年末を迎えようとしています。
今年は、大掃除もできずもう面倒なのでダスキンに頼もうかなと思ってます。
さて前回は東京に出てきた話でした。
一人暮らしで貧乏だったけど実家にいるより自由。仕事はきつかったたけど、その時の経験は今も生きています。
一人暮らしして実は俺もパチンコやり出す。
まあ、蛙の子は蛙的な感じ…少しやさぐれた時期もありますが、ギャンブルは27歳ですっぱり止めました。
オヤジ見てるからね。
その時の話はまた今度します。
さて、そろそろギャンブルも止めて仕事もそれなりにやっていて安定し始めた29歳の時に母親から電話が。
オヤジが肺癌になって余命3ヶ月と言われたらしい。
まああれだけパチンコやりタバコ何箱も吸って酔うまで酒飲んでりゃ長生きするわけがない。
色々考えたけど、憎いオヤジだが死ぬなら少し実家へ帰るかと思いました。
取り敢えず一年ぐらいかなと考えて、今の嫁を残して荷物を車に積んで一人で帰った。
オフクロもちょうど胃にあまり良くないポリープ出来て二人で入院となったりしたので、帰っておいて良かった。
犬の餌やりと散歩あったし。
入院してから、オヤジのクズっぷりががさらに露呈。
働けないからサラ金の返済できない。
そんなになってからカミングアウト!
オフクロは二百万ぐらいと言ってたけどホントかどうか。
結局、家のお金でサラ金返済。
抗がん剤が効いて余命が伸びた。でも医者は一時的ですぐ再発する珍しいのだと言ってた。
半年ぐらいしてからかな、オフクロから実はオヤジがまだ借金あったと。
給料振り込み口座の銀行が貸越契約で金が借りれていて、30万借金あるって言い出した。
ホントにクズだなぁ。収入もガン保険頼み。オフクロも病み上がり。
この家もついに終わるかなと考えていた。
もう大人だから良かった。学生時代ならもっと惨めな思いするとこだったよ。
ガン宣告から13ヶ月目、お見舞いには週1,2回言ってた時にオヤジから、
「お母さんには苦労かけた。こうして入院してると保険金が入るから1日でも多く生きてお金残したい。」と言っていた。
もう家には金が余り無かったからガンになる前年に死亡保険解約していて、死んでも金にならないこと知っての発言か。元気なときにその苦労かけて悪いなとならないのかと俺は呆れた。
翌月、病院のベットで少し元気なときにカニ食べたいと言い出した。あとザル蕎麦。
冬だったので北海道の当時の田舎のコンビニだと売ってなかった。
売ってるコンビニ何件か回ったらあったので持って言ったら半分も食べれなかったが、美味しいと食べた。
あっ、そう言えば死んだ嫌いな爺さんも死ぬ前の日に黄桃が食べたいと言い出して缶詰探して食べさせたら翌日死んでたっての思い出した。
もう間もなくだな…
その通りに翌日から寝たきりになった。そこからは二週間持たなかったと思うが亡くなった。
俺は涙でなかったな。オフクロと弟は泣いていたけど。
葬式の準備にかからなければならなくそれどころじゃなかった。
家族葬なんて時代じゃない!寺の檀家だったから寺と葬儀屋の手配で忙しかった。
あまり記憶がないまま葬式終わった。
初七日で手伝いの親戚も帰る日にやっと泣いた。
でもこの涙は悲しいじゃなくて、子供の頃からのオヤジからの呪縛の解放の涙だった。
実は墓に納骨してから俺は墓参りには行ってない。遠くに住んでるのもあるが、基本的にもう関わりたくない気持ちが強くて、行きたくないと母にも弟にも言っている。
今はそれなりに楽しく暮らしているのでせめてオヤジが死んだ年齢の59歳は超えてやろうと思ってる。
これで早死にしたら死んでも死にきれない!