見出し画像

成果が出ないひとには、『混ぜもの効果』が働いている(理論編)

こんにちは。米川(@yoneshi0320)です。

今回は、インプットや行動をたくさんしているのに成果が出ない、いわゆる「うだつの上がらない人」に働いている現象を、解説します。

あなたの周り(や、ひょっとしたらあなた自身)に、ひとつでも思い当たる節があれば、参考になるはずです。

●味も匂いも“劣悪な”お酒

学生時代、ぼくは都内の某居酒屋で初めて「日本酒」に出逢います。

しかしそこでの第一印象は最悪でして。二・三口と飲んでも印象は変わることなく、さらに追い討ちをかけて、翌朝はひどい二日酔いにみまわれました。

あとから調べると、チェーン店で出される名もなき日本酒(だいたいの日本酒には製造元から名前がついています)には、大量仕入れに耐えるための防腐剤や保存料など、いわゆる「混ぜもの」がされていました。

●印象が180度かわった、「磨き二割三分」

それから1年ほど経ち、免許合宿先の山形で「磨き二割三分」の日本酒に出逢います。これが素晴らしい味と風味で、かつまったく二日酔いしませんでした。※もちろんアルコールなので、個人差があります。

二割三分、つまりお米全体のうち中心に近い23%しか残さず、残りの77%は文字通り研磨(けんま)し、雑味やえぐみと共に捨てる。

ワインでも、すこし高級なリストランテ以上ではペアリング(各料理に合うワインをグラス単位で出すサービス)があります。しかし粗悪なワインなら2−3杯で悪酔いし、平均7-10品のコース料理全体の体験価値を損なう。ゆえに提供されるのはほぼ不純物の無い、洗練されたワインのみです。

●成果の差≠アクセスできる知識量の差

ひるがえって、ぼくたちの周りには本やSNS・セミナーなど、およそすべては摂取できない「知識」が毎日溢れています。

しかし一流の経営者やコンサルタントと、いわゆる「うだつの上がらない人」「頑張っているけど成果が出てない人」、前者と後者でアクセスできる知識に大きな差があるかというと、ぼくは極端な差は感じません。

むしろ同じ会社や組織の中、同じ職業であっても、差が生まれます。さらに肌感覚ですが、その差はここ数年で拡大している実感も。

これはいったいなぜでしょうか?

●「混ぜものの知識」を摂取していないか?

星野リゾートの星野社長は、「教科書通りの経営」をするので有名です。

たとえば、予約サイトの改善には、行動経済学者ダン・アリエリー氏の『予想どおりに不合理: 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』を教科書に。
人間の選択でしばしば起こる「不合理さ」をもとに、「サイトでどういう表示をしたら、さらに予約してもらえるか」へ応用しています。

しかし、どんな本でも教科書候補になる……とはいきません。

私が使うのは研究者が書いた教科書であり、いずれも企業の事例の積み上げから法則を導いています。

その内容は例えば医学や化学と同じ科学の世界であり、正しさが証明されています。私は教科書を通して証明された法則を知り、それを経営に活用しているのです。

出典:https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00401/120800001/

ここから、世の中には論理と再現性が担保された、「教科書」になりうる知識=「磨かれた知識」と、そうでない知識=「混ぜものが多い知識」の2つがある、といえます。

そしてぼくは混ぜものが多い知識ばかりを取り入れ、成果がいつまで経ってもでない現象を、「混ぜもの効果」と名づけました。


●なぜ、「混ぜものが多い知識」は危険なのか?

とはいえ、「知識は”量”も大事なので、どちらも大事ではないか?」「なぜ教科書にならない知識が必要ない、といえるのか?」と思う方もいでしょう。

なにも、好きなアイドルの食べ物や将来行きたい観光スポットの豆知識がすべて無駄、とはぼくも思っていません。人生を豊かにするうえでそれらはむしろ、情緒や感性を高めてくれると思っています。

しかし成果を上げる、つまり「ある条件下において競合や相手よりも高いパフォーマンスを発揮すること」において、「混ぜものが多い知識」は危険です。なぜなら、余計な不純物=ノイズが多く、摂取した後にうまく吸収できず不調を起こす。酷いと翌日には知識そのものの記憶を無くしています。


●論理もねぇ。再現できねぇ。それなら成果が出るはずねぇ。

たとえば、本やセミナーなどで「XXの行動をする人は、人間としてダメ。」と言っているパターンでは、正しい構成が無いと聞き手に余計な疑問=ノイズを発生させてしまいます。

<ノイズ例>
・人間としてダメとは、どういう状態か?
・なぜXXの行動をする「すべての」人間が、ダメだといえるのか?
・XXの行動をしないすべての人間は、ダメではないのか?
・なぜ、「人間としてダメな状態」を、話者が定義できるのか? etc…

これらの疑問に答える=「不純物」を取り除く作業、つまり「論理構築と、再現性を担保するための検証作業」。
それを経た知識こそ、ぼくらが得るべき「磨かれた知識」です。

人間には損失回避バイアス(=行動して得られるメリットが、行動して損するデメリットのおよそ2倍で、ひとは初めて行動する)がある。
ゆえにノイズがある状態=論理が無い、もしくは矛盾が生じている状態ではそもそも、行動に移りません。

さらに再現性が担保されていないので、知識自体が誤っているのか、行動が誤っているのか判断がつかず、時間だけを浪費し徒労に終わるのです。


●では、どうしたらいいの?

「混ぜものの多い知識」を避けながら、「磨かれた知識」を得て成果を出すためには……長くなってしまったので、次回「実践編」に続きます。どうぞお楽しみに。

=========

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
スキ・フォロー・いいねをいただけると、とっても嬉しいです。

こういった考えをマガジンにもまとめています。よろしければどうぞ。

次回も書きます。
がんばるぞ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?