判別できなくなるまでやればいい
多様性の時代である。もちろん大歓迎だ。
ところが蓋開けてみたら、それにかこつけた傲慢まみれのわがままと屁理屈の大集合といった有様だ。それどころか互いに押し付けあうばかりで、自分が理解することには疎い。これではなにが大切かますます分からなくなる。言ってるそばから私のモラル感覚もどんどん乱される。
だからもういっそやりたいようにやればいいと思う。なにが良くて何がダメか判別もできないほどに無茶苦茶にしてしまえ。いくところまでいけば、そこには善し悪しとか優劣が判断不能の世界が待っているのだろう。これが力ずくの平等世界である。といっても、それは一時的なもので人間はまた新しいものさしを持ってくるだけだろうが。
足場はどんどんなくなる。そこにとりあえず腰かけていた人は困るだろう。私も困る。しかし、溺れる者には藁を掴ませない。藁ごと沈めて何を掴んだらいいか分からなくなるまで滅茶苦茶になればいい。それでも、人間はなんだかんだで泳ぐ。
なんなら私も混ざりたい。「猫に小判」だと、猫を侮蔑している。猫に失礼だと思わないのか。ただ、こんなことを真剣に言う人がいたら、思わず引いてしまう気がする。本当にそうなっても困る。世の中難しい。